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  • 執筆者の写真小宮山剛

積読を語ったら感極まった件

いつも小宮山の文章を「長いなぁ」と思っている方へ。今回ばかりは安心してほしい。


今回は、短い。

とても短い。

はずだ。

そう思う、すくなくとも今は。


僕はこの文章を「いつか読むつもり」、つまりは積読(つんどく)をテーマにした奇怪な読書会へ参加した後に書いている。その「斬新」という言葉をあてがうには少々アヤシイ雰囲気の読書会については、椎葉村交流拠点施設「Katerie」のホームページにて詳細をご覧いただきたい


「積読読書会」は、ざっと概略を示すと以下のようなものである。



・テーマは「積読」(いつか読むつもり)

・オンライン(Zoom)開催のためどなたでも参加可能(URLはオープン状態)

・椎葉村外の方も参加可能


・・・つまりこの読書会は、令和3年の1月22日時点でなお猛威をふるっている新型コロナウィルス感染症がために実現せざるをえなかったというのが正直なところの「本当は図書館や中園本店さん(椎葉随一のパン屋さん)で集まってリアルに語り合いたかったよ~」という未練をタラタラと引きずった企画だったのである。


そしてまた「積読」というテーマがアヤシイ。果たして読んでもない本を語ることができるのだろうか。脳裏に浮かぶのはあまりにも長い沈黙、長いさよなら、そして誰もいなくなった・・・。ファシリテーター力が試されるどころか、いったい人が来るのかどうかもわからない。もうこれには椎葉村地域おこし協力隊の「ローカルファシリテーター」もお手上げだろう。そう思っていた。


そして「そう思っていた」は、だいたい覆される。


「積読読書会」には9名の「読みたいけど読んでない」本を持ち寄った正直がウリの可愛げある読者諸兄が集まり、みな一様に「えへへ」という感じの照れ笑いを含みながら積読の紹介をした。もちろん中には「手元の本は全て読んでいる」という実直かつ着実な読者の鑑のような方もおり、そうした場合にはその他読者諸君の羅針盤となるような素晴らしい読後レビューを披露した。


僕達は積読を披露しあい、その後20分ほどの「せっかくだからこんな機会に読んでみようよ」という苦行のような・・・、あ、いやごめんなさい「至福の」沈黙読書タイムを設け、また語り合った。語り合うべきは「今まで開いてこなかった本を開けてみると何が起こったか」である。


注目すべきは「万が一にも来てくれたら嬉しいなぁ」と思っていた、椎葉村外の方が参加してくれたことである。東北の方で、かつて一度だけ椎葉に来たことがあるのだとおっしゃっていた。仮にその方を「高杉さん」としよう。


高杉さんはきっと、ウェブでの情報をご覧になりアクセスしてくださったのだろう。僕は積読読書会の主催者でもなんでもないのだけれど、椎葉村図書館「ぶん文Bun」運営を統括している身として深謝申し上げたい。高杉さんが参加してくださったことは、椎葉の読書会にとってもすごくプラスにはたらく出来事だと思う。


そしてさらに印象的なことは、そしてこの結局長々と書いてしまっている記事の本当に大事なことは、高杉さんが会の最後に述べた感想である。僕はそれを聞くと感極まってしまい、主催者でもなんでもないのに「積読読書会をやって良かった!」と思ったのだった。テーマも「積読」で良かった!と静かに万歳をしたのだ。もちろん、テーマは僕が決めたものでもなければ、僕が発案したものでもないけれど。


高杉さんは東北のとある県でとある職種のエッセンシャル・ワーカーとして働いておられて、昨今の事情で普段の行動に大きな制限がかかっているとのことだった。つまり高杉さん自身が新型コロナウィルスに感染するわけにはいかないので、動くといえば職場と自宅の往復だし、その他の楽しみだってひどく制限されてしまっている。思考も仕事と自宅に縛り付けられてしまったかのように固まり、逃げ場のないような状況だった。


そこでこのアヤシイ「積読読書会」を知った高杉さんは、お仕事の忙しい合い間をぬって参加してくださることを決意する。理由は ①椎葉村に行ったことがあるから ②オンラインだから、そして ③積読がテーマだから・・・ということだ。


これは僕の想像にすぎないのだけれど、一度行ったことがあるとはいえ、基本的には村民が中心と思われる読書会のZoomを開くことは相当にハードルが高かったのではないだろうか。そんな中でこの積読読書会にご参加いただいた高杉さんの心中にはもしかするとこのコロナ禍での日常に対する大きなわだかまりのようなものがあって、オンラインでの積読読書会参加を「自宅と職場以外のどこかへ行く」という選択肢としてお選びいただいたのではないかと拝察する。


高杉さんのご感想をできるだけ正確に引用すると「積読っていう、後ろ向きなようで前向きなテーマが良かった。もしこれが読んだことのある本のテーマだったら、参加しなかったかもしれない」だそうだ。高杉さんは参加した結果として、仕事柄職場と自宅の往復が続く毎日のなかで生まれたこの積読読書会の機会を大変嬉しいものとして受け止めてくださり、感動のことばをひとつひとつ丁寧に述べてくださった。僕はもちろんだし、きっと読書会に参加している他の皆さんも「遠くから参加してくださって、楽しんでくださってありがとう」と、そう思ったことだろう。


オンラインで良かった。テーマが「積読」で良かった。


ふつうであれば憂慮すべき状況やテーマだったけれど、こうして椎葉村において積読読書会をオンライン開催したことで、遠く東北でコロナ禍のなか日々勤務されているエッセンシャル・ワーカーの方にとっての「癒し」が生まれたのだ。高杉さんのご表情やご感想から、そんなことが読み取れた。


このコロナ禍はほいそれと収まらないだろうし、ちょうど今日も英Times紙が2021年夏に開催予定の東京オリンピックが中止になるとの見通しがある旨を報道していた。世間は明らかに沈鬱な状況にある。


しかしながら1月22日の今夜、僕達は読書を通じた新しいかたちでの癒しを共有できたのではないだろうか。重要なことは「本を読んでなくても良かったんだ」ということである。本という存在そのものが、あるいはうず高く積まれるほどにその効力を増しながら、僕たちの紐帯をやさしく癒してくれたのだ。


明日1月23日から、椎葉村図書館「ぶん文Bun」は本の貸出と返却など簡易な手続きに限った営業を「一部」というかたちで再開する。宮崎県下では独自の緊急事態宣言が出されていて、もちろん何もかも自由というわけにはいかないのだ。そんなあまり歓迎できない状況においても、僕達には本という存在に力を借りることで可能となる使命があるのだろう。そこに生まれる奇跡的邂逅(セレンディピティ)があるのだろう。


そして驚くべきことにここまで書いてきてはじめて気づくのだが、僕たち椎葉村に暮らす者もまた「職場と自宅以外のどこか」を必要としているのだ。都会でなく満員電車もない日本三大秘境の地だけれど、自宅にいることが是とされるこの息苦しい世の中に、何かしらの違和感なりわだかまりを抱えている人は多いだろう。そんな人だらけ、と言い切ることだってできるかもしれない。僕達は今、多かれ少なかれ癒しを必要としているのだ。そして今日学んだように、本というチカラはそのために大きく役立つことができる。


「本は、読まなくたって楽しい」

「本は、あるだけでしあわせだ」

「本は、積めば積むほどに善い」


僕はまた明日から、この教訓を胸にぶん文Bunでの業務にあたりたいと思う。


「積読読書会」。実に、よかった。


椎葉村図書館「ぶん文Bun」

クリエィティブ司書

小宮山剛




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