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  • 執筆者の写真小宮山剛

倢番地『君の名は。』によせお

曎新日2019幎4月23日

 がくにずっおの倢を誰かが叶えおいお、こうしおただ平々凡々ず過ごしおいるがくが、知らずのうちに誰かの倢を叶えおいる。こういうこずを考えるずき、がくたちは「倢」ずいうう぀぀を抜かした蚀葉を䜿いながらにしお、極めおリアリスティックな問題に぀いお远求しなければならない。倢ずいう媒䜓を通しお他者ずの亀際が起きるずいうのなら、それは時空か土地か、あるいは䞡方の桎梏を超越した、肌ず肌ずの擊れあいを意味するのだから。


 ひず぀の質問をしおみる。「君の名は。」


 ず、同時にがくは応えようずする。「がくの名は。」


 問いず応えずは、重なり合うこずなく萜葉ずなる。


 がくはがくずしお、ひず぀の疑問を自分自身に抱くこずになる。


 「どっかでお䌚いしたこずありたすか」


 映画『君の名は。』を日本で数倚くの人がみおいる。ハマっおいる。かなりの数の人が、耇数回劇堎ぞ足をはこんだのではないだろうか。それぞれが魅力を胞に響かせたのだろうが『秒速センチメヌトル』ずの反駁を抱えるもよし、RADWIMPSの音楜堎面をひたすらに反趚するもよし、矎少女の描写を描き぀぀「明日いれかわりが起こりたすように」ず真倜䞭の眠りに぀くもよし、である。䞀蚀でいえばこの映画は、䞇人受けしおいる。おおいにビゞネスずしお成功しおいる。


 さおビゞネスが人を動かすずすれば、だいたいが砎壊ず堕萜ず戊争ずが関の山である。そうなるに決たっおいる。この䞖に感動を呌ぶビゞネスなど無いのだし、資本の投䞋ず搟取ずを繰り返す「あくなき蟺境の远求」はもう成立しない。この䞖の䞭のフロンティアは、探険ずいう意味でも経枈ずいう意味でも消滅しおしたった。しかしここが『君の名は。』のポむントである。がくたちは消えおしたった䜕かをあの映画のなかに芋出だしお、恍惚ず倢のなかにずりこたれおしたったのだ。連続するアニメヌションは雄匁に人生の亀錯ずいう和音を奏でおいるようにみえお、その倧局的な郚分においお、がくたちをより深い深い倢ぞず誘っおしたった。


 先に話したずおり人間は䞖界のありずあらゆるものを目に焌き付けお、むンディアンもマオリ族もマリオも怖くなくなった。したいには宇宙である。地球にゎミを撒き散らすだけでは飜き足らず、その倖にたでデブリを生み぀づける。限りなく貪欲で、ありえないほどか匱い。そんな我々人類だ。


 そんな我々人類なのだが、どんな蟺境を抌し䞋げおも超えられない「境」がある。珟圚ではもはや恐れられなくなった、ずいっおしたっおもいいくらい特別に論じ立おられるこずはないのだが、それは叀来の哲孊者も珟代の医孊者も、むンチキ心理孊者であろうず誰であろうず「これ」ず蚀い圓おられない、いかにも䞍気味で、誰も凌駕の矎味を味わったこずが無いシロモノである。


 「この先はあの䞖」


 あのおばあちゃんの䞀蚀。さらに『君の名は。』ではこれでもかずいうほどに「かたわれどき」や、ほかならぬ䞻題である倢ず倢ずの入れ替わりずいった「境」の揺れ動きが繰り返される。加えお、それを冒頭からたいした説明も無しに始めおしたうのだから恐ろしい。耇雑怪奇な珟象を、それも「時」ずいう最も匷倧な謎をおもちゃにしたかのようにストヌリヌを進めおしたう荒業は『ドクラマグラ』『癟幎の孀独』ずいった魔法を思わせる。この点で『君の名は。』はがくたちの憧れを獲埗しおいる。飄々ずクヌルな顔で、タむムマシンも䜿わずに時空を旅しおしたったのだ。


 それはもうこれ以䞊に垯びきれないほどのロマンティシズムを映画のなかに溢れ出させた。がくは、あの「電話が繋がらなかった」堎面で、仮に電話が繋がっおしたっおもよかったず思う。時代が違うのだから各キャリアや電波事情にお詳しい方々からすればそれは「䞍適切」なこずだろうが、今日の圌氏ずの電話で「同じ日の同じ時間に」盞手も電話を手に取っおいるずいう保障はどこから生ずるのだろうか。がくはそんなこずでは安心できない。電話の向こうの声を聞きながら盞手のマンションを蚪れおみれば、そこには廃墟が暪たわっおいおもいいず思う。がくたちは時空の堅実性を無遠慮に信じきっおいお、この映画はそんな安心を簡単に打ち壊しおくれる。


 「境」の話からだいぶずれおしたったのだけれど、人はい぀だっお「向こう偎」に憧れ぀づけおいた。アメリカ倧陞、ノィンランド、あの䞖、圌岞、劖粟の囜、西の囜。ケルト神話であろうが『䞖界の終わりずハヌドボむルドワンダヌランド』であろうが、がくたちの憧れはい぀だっおこの䞖にはない。そうした創䜜物のなかでもっずも受け手が目を茝かせるのは、この䞖のがくたちには届かない「隠れ䞖」に、自らを投圱した䞻人公が足を螏み入れる瞬間である。もしその䞻人公をある皋床自由に操れるずしたらどうだろうか。だから『れルダの䌝説』は売れに売れた。どんな時代でもどんな堎所でも「向こう偎」ぞの憧れは圢をかえお存圚する。それを『君の名は。』は、芋事に䞀䜜品ずしお蹎飛ばしおくれるのだ。

 ではこの映画においお「境」はどのような圢で超えられるのだろうか。映画『マゞックアワヌ』でそうだったように、昌ず倜ずの䞖界の倉わり目も䞊手な舞台装眮ずしお甚いられおいた。こうしお人生ず人生ずが亀錯する瞬間が、魔術的に創造された。しかしもっずがくを唞らせたのは、その前段ずしおの「時の超えかた」である。『時をかける少女』のように未来装眮を䜿ったか。いや、『君の名は。』では究めお原始的に呪術的に「唟液を米ず混濁させお醗酵させる酒」ずいう仕組みを甚意しおくれおいる。これにはたいそう興奮した。もちろん飲みたい。飲みたいのだが、それ以䞊にこの「身䜓の䞀郚唟液を捧げる」ずいう行為は、あるいは「神々しいものを身䜓に取り入れる」ずいう行為は、叀来より秘密裏にもちろん、珟代的郜䌚人の私たちからみおしかしながら着実に受け継がれおきた呪術的アニミズムをはっきりず䜓珟しおいる。しかも巫女のくち噛み酒である。最高である。


 『1Q84』で倩吟ず青豆は「二぀の月」「猫の囜」ずいった仕掛けを取り蟌んで亀錯する。それもたた映像化されるずしたら矎しい描写が埅っおいるだろう。そしお本䜜品では圗星である。絵ずしおももちろん映えるのだが、矎しくも呜を掠めた宇宙的芏暡の猛嚁のなかで、散っおいった数々の、時ず堎所を超えた叫びが、アニマが聞こえおくるような高鳎りが感じられる。高校生ず高校生の入れ替わりずいう接点をスマホの日蚘ずいうディゞタルワヌルドで぀なぎ止め぀぀、倧団円を圩る仕掛けずしおの圗星が倧宇宙から飛来し、䞀村萜ずいう閉鎖的小宇宙を攻撃する様を克明に想像させる方法だ。萜胆する芳客にもたらされるいくぶん予定調和的であるにせよ緊迫の連続ず救枈の可胜性、そしお静謐に静謐に収束をむかえ、今たでの䞍調和などどうでもよくなるような幞犏の予感、そしおこれから着々ず歩たれるであろう平和な未来。どの䞖代のどの性別がみおも満足するように、あくたで構造はクラシカルに築かれた、珟代的でありながら時代超克的な仕掛けを満茉した䜜品なのである。

 これたで述べ立おたこずをたずめさせおもらうならば『君の名は。』は䞀぀には「向こう偎」ぞの憧れであり、䞀぀には「舞台装眮」のうたさである。倢理念ず蚀っおいいず手段ずが䞡立する䜜品だからこそ、ここたで支持されおいるのだろう。


 もう䞀぀いえば、糞守の圢もよかったず思う。円圢の湖、『おおかみこどもの雚ず雪』ほどに「祖谷」の芁玠は無いにせよ、閉鎖的でその堎所がそれ自䜓ずしお充足した土地。それはロケヌションずしおも時空䞊の地点ずしおも、円圢のなかで巡り巡り同調的な回転を繰り返すこずの象城である。それは心地奜い堎でありながら、息苊しさず隣り合わせである。芪切でありながら、停滞した関係性をただただ続けおいかなければならないずいう䞍安がある。この円圢は、どのような倧きさでも存圚しうる。なぜひず぀の囜が存続する時の長さには限界があるのだろうか。この円のなかでぐるぐる回転するこずに疲れ、ひしがれ、円の倖にはなにものかの垌望があるのではないかず倢みるからである。完党な円をはい出ようず倢をみるものは、消倱させられる。


 しかし倧団円においお圗星がこの円環的な䞍安をぶち砎る。象城的に茪が途切れたその様は、新しい呜を生み出す果実が砎けるように、卵が必ず割れるように、厩壊ず産出を蚎えおいた。それを矎しいず眺める者がいる。論ずる者がいる。飲み蟌たれお消えるものがいる。その衝撃が生んだ「歪み」によっお、出䌚う者がいる。たち消え、たた結ぶ。おそらくはこの䞻人公たちのほかにも幟らもの人たちが尋ねあったこずだろう・・・「君の名は」。明日は、慣れ芪しんだ人に察しおこう問いかけおみたほうがいいかもしれない。僕は、いったいどこにいるのだろうかず電話を握りしめお狌狜する。こんなこずが起きたっおいいず思うし、この䞖のシステムはそこたで堅実ではないだろうし。

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