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  • 執筆者の写真小宮山剛

2019年5月 椎葉

更新日:2019年12月2日

「きっとこの子は、新緑が芽生える頃に生まれるだろうねぇ」


なんだかそんな類のセリフを、比較的かなしくて読み終えるまでに幾多もの後悔を続けなければならないような小説でみたことがあるような気がする。夏の日差しが穏やかな海面に映るかと思えば、日陰に倦んだ黴くさい空気が唐突に流れてくるような、そんな小説だった。

5月は、そうした不幸な気分とは無縁の存在のように思う。冒頭のセリフみたいに新緑の時期に生まれる子どもは幸福だ。世間がみなヴァケーションの効用たるべき高揚に満ち溢れ、前年に経験したのと同じ、あるいはそれよりももっとひどい6月の黴くさい終末の雰囲気などとうに忘れてしまったかのように浮かれ騒ぐ夏の前座。それが、5月なのだ。



大名でチル

そうだ。5月とは浮かれ騒ぎのヴァケーションなのだ。ワーケーション?くそくらえだ。僕はヴァケーションするぜ・・・。というわけで、5月の写真は一日目ののっけからヴァケーション全開のチルなヤツでした。撮影場所は福岡・大名の「ラビットホール」。漢字にしたら「兎穴」。と、とけつ・・・。

兎穴なんてことば、本当にあるのかい?そう思ってインターネッツを徘徊したところ、どうやら文豪の一節に存在するそうです・・・。読み方は「うさぎあな」


愛ちやんは野原のはらを横斷よこぎつて其後そのあとを追蒐おツかけていつて、丁度ちやうどそれが生垣いけがきのしたのおほきな兎穴うさぎあなにとびおりるのをみました。

『愛ちやんの夢物語』ルイス・キャロル


へぇ、ルイス・キャロルの作品が翻訳された「うさぎあな」になっていたんだ。そう思うだけで今後Rabbit Holeで吸う水煙草は89倍くらい旨くなるわけです。ほうら、ことばの繋がりって素敵じゃないですか?素敵じゃないですか、そうですか・・・。



「ふくちのち」さんを見学に

思えば5月1日は、令和元年の天皇即位のお日にちなのであった。そんな日に水煙草を吸いながら「チルだぜぇ」なんて言っていた自分を恥じたいものながら、恥はかき捨てである。なんといっても5月のはじめは黄金週間、すなわちGolden Weekであるから、もう旅の行く先は留まるところを知らないというわけである。


しかしながら僕にはきちんとしたワーク上の目的地が存在するのであった。前々から伺ってみたかった、福岡県民にとっては「図書ぱん」で有名であろう、複合型の図書館「ふくちのち」さんである。5月2日には、僕はすっかりチルモードを脱却して、クリエイティブ司書の顔になっていた。たぶん、なっていたと思う。


ふくちのちさんには、クッキングラボやものづくりラボがあるという共通点があったのでお伺いした次第である。椎葉の交流拠点施設も、同じく複合館。僕はハード面での学びを大いに期待していた。


ところがどっこい、僕はそこで司書を務めるハードにやる気いっぱいのとびきり元気な方にお会いして「こりゃ人だ、人が図書館を元気にせにゃいかんのだ」と感じたのである。ハードを学ぶつもりがハードにソフトに感銘しちまって、チルな僕の頭は渋谷のど真ん中のクラブのど真ん中でグルーブ感に酔いしれるかのごとく巡り巡った。あぁ、クラブなんて、行ったことないんだった。


・・・ともかく、ヴァケーションヴァケーションといいながら、ファンベースで仕事をしていると休みも仕事も関係ないわけです。「ふくちのち」は福岡・福智町だからだいたい博多まで車で1時間くらいなのですが、帰路の車中でクリエイティブ司書小宮山は、夢膨らませつつハンドルを握っておりました。

夢を、ありがとう。ふくちのちさん。



椎葉のおともだち

5月4日は「さるく」があったので椎葉に帰っていた。「さるく」とは歩くということで、九州全域で使われることばだそう。『隠語大辞典』というちょっとドキドキする名前の辞典によると「歩くをいふ、九州の方言」とのことである。


もっとも有名なのは「長崎さるく」のようで、長崎と椎葉が同じことばで繋がっているというのはおもしろい。長崎といえば、母方の家族がしばらく諏訪神社近くに暮らしていたとかいうことで何度か行ったことがある。修学旅行は長崎、僕が行ったことのないハウステンボスも長崎、大好きな横道世之介の出身地だって、長崎だ。


思えば大分の竹田でも「ヤマメ」を「エノハ」と呼称したりする。案外、九州のことばは常に通い合っているものなのかもしれない。



東京・吉祥寺にて

あくまでその日に送られてきただけ、ということなのだけれど、5月10日にはこんな写真が送られてきた。なんだか中島らもを森山大道が撮った写真みたいだ、とかなんとか写真には全く素人の僕は下手なことを思いながら喜ぶ。ちなみに中島らもさんが亡くなった「せんベろ忌」は7月26日であって、僕の誕生日である。僕はこの日、シャンパンやテキーラ・ショットでべろべろになるのでなく、慎ましやかにしかしながら全幅の愛をもって、せんべろしようと努めている。


東京・吉祥寺の酒場は、又吉直樹さんの小説の登場人物がひょいと出てきそうなくらいに、はるかな熱量と都会にやさぐれた諦観が入り混じった空間で、隣の席で騒いでいる名前を誰一人言い当てることのできないお笑い芸人さんの声をつまみに飲んだ。サッポロビールが、喉のうわべをなでては通り過ぎていった東京の冬のこと。



黒亭さんのラーメンを食べていた

山鹿の温泉にて

白川水源にて。さいこう

白川水源のハルジオン

5月11日、僕はまた椎葉を飛び出てヴァケーションしていた。山鹿、阿蘇、そうしたヴァケーショニズムあふれる場所をヴァケーショナリーに巡っていた。


白川水源は、僕に静岡の柿田川を思い出させる。ああいう水源にいくと僕は、水をくむでもなくお金を投げ込む(だめですよ)でもなく、ただただ水面付近を不安げにさまよう小魚に視線を突き刺したり、水底で遠慮がちに動く湧水の蠢きをかすめとろうと届くはずのない左手を伸ばしてみたりする。水源は、いつだって僕を落ち着かせるのだ。まるで僕は水源からひょっこり生まれてきたかというような、そんな確信すら抱かせるような絶対的な安堵。僕にとって水源は、安堵そのものが湧き出る場所なのだ。



菊陽町図書館さんにはお子さんがいっぱい

また、もちろん、ヴァケーションだけではなかったのである。僕は熊本・菊陽町の図書館さんを訪問していた。お子さんがいっぱい走り回って(いい雰囲気でした)いる館内は学ぶ人と遊ぶ人が同居できているように見えて、椎葉でもそんな姿が思い浮かんだような気がしました。


休日の図書館見学、5月頃からちょくちょく始まっていたんだなぁ・・・。



移動式バー「ジプシー」さんが来たとき

5月20日には移動式バーが椎葉村にやってきて、若者たちがこぞって肉焼き酒飲む会が開催されたりした。小宮山のポーズが一人だけYOLOな感じである。You Only Live Onceである。そりゃそうだ、2回も3回も生きるなんてチャンスがありすぎる。この世はもう、チャンスに満ち溢れているんだから。


椎葉に住み始めてからよく聞かれるのは「若い人、いるの?」ということ。その人が「統計的な字義において、椎葉村に在住する30歳以下の人口は減少傾向にあるのかね?」と尋ねているのか、あるいは「どう、楽しい?」と尋ねているのか、あるいはまた別の理解に苦しむ何かしらのインプリカチュアを込めながら尋ねているのかによって答えは変わるのだが、私の回答としては「いる」である。


椎葉には若者だっているし、これから若者になる赤ん坊もたくさんいる。もちろん、かつては若者だった諸先輩たちもいる。しかしながら「若者」「中年」「老人」、そんな区切りに意味なんてあるのだろうか。そう問いたくなるのは多少攻撃的に過ぎるのかもしれない。ただ僕は「若者」が元気とかチャンスとか挑戦の「象徴」であるのならば、一生若者であることだって可能なんだと思う。そういう意味では、椎葉には若者がたくさん、たくさんいるんですよ。


You Only Live Onceである。生まれ、また死ぬまでに、僕達はいくつもの「一度きり」を駆け抜けている。



山水をくむ場所を知った。

道端に咲く花が綺麗だと、知った。

5月25日、すなわち新緑も十分盛りを迎えた頃、僕は椎葉の山水をくませていただける場所を知った。思えばこの頃になってようやく、引っ越し後の家のなかが片付いてきたんじゃないかと思う。そして改めて気づくのだ。


あぁ、椎葉で生かされているんだ。



図書館を学ぶために買った本たち

5月末に撮った写真をみると、僕は協力隊としての仕事と並行して、とにかく「図書館とはなんだ」という不透明かつ形の変わり続ける姿を掴もうとしていた。もう、そのことにやっきになっていた。その証拠が辻村深月さんの『図書室で暮らしたい』がなぜか紛れ込んでいることである。これは辻村さんのエッセイ集というか、雑誌やなんかに寄稿された文章の集合という形態をとる本なのだけれど、なんでこの図書館を学ぶライン・アップに入っているのか、読み終わった後は「なんでだっけ?」ということになった。


しかしながら僕は辻村深月さんの小説をそれまでaudiblede聴いたことしかなくて、この本を読んだ後はぜひ活字で読んでみたいと思うようになった。「図書室」ということばが偶然にも結び付けてくれた本と本とのセレンディピティを、こんなところでもぴしゃっと実感しているわけである。



そうして5月31日、僕はまた中洲にいた。なぜそうなったのかはわからないけれど、とにかく僕は中洲の夜景を見渡す素敵なバーで瓶ビールとピッツァを胃の中に流し込んでいた。キャナルシティの看板を眺めながら、キャナルシティの看板はいったい何年あの場所に不動のまま括り付けられているのだろうと不思議がり、縛り付けられたままの看板の一生を不憫に思った。


そうして中洲の夜闇に溶け込んできたのは、6月の湿り気ある風だ。こうして振り返るとあっという間だけれど、僕は5月の間に図書館を学び、椎葉の交流拠点施設の「展望」すなわちコンセプトを考え続けていた。こうしてヴァケーションばかりしているような写真しか残っていないのだけれど、仕事中はたぶん、写真を撮るような派手なことはしていなかったんだろうと思う。


僕はただひたすらに紙を使いペンを使い、コンセプトのかたちに色を塗り続けていた。いったいどういう空にこそ映えるべきなのか、5月の快晴たる青空を見上げながら、僕は答えを探した。ほんの一瞬の間に降りてきた、というよりは既に胸の内にあった答えを握りつぶさないよう、僕はペンを動かす手をとめてそのたしかな塊を両手で包み込み、空へと放とうと大きく屈伸した。


僕にとっての5月は、そんな時期であった。まさに次の(2020年の)5月に向けての胎動が、そのときに始まっていたのだ。

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