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  • 執筆者の写真小宮山剛

31歳になりました:ご報告と小宮山剛のこれからについて

2021年7月26日、31回目の誕生日を迎えました。

今日この日まで生きながらえることができたという、細い細い糸をたぐり続けるかのような軌跡を振り返りつつ、今のつながりをいただいております皆さまへ深謝申し上げます。今日は一日たくさんの方からお祝いのお言葉をいただきましたので、2021年後半の間は皆さんをお祝いし踊り続ける存在であるように努めたいと思います。・・・どんなお祭り男やねん!!

この記事を書こう書こうと思いながら、最近は図書館のまとめ記事のようなものをnoteにアップしまくっていたので、いちばん大事な「ご報告」について書き留めるのが遅くなってしまいました。ただいま26日の23:17、誕生日のうちに間に合わせたいこのnote記事・・・多少の乱文は笑い飛ばしてくださると幸いです。

↓「ご報告」を書かずに更新しまくっていた記事たち↓


約束する秘境:図書館ブランディングの話


『或る幻我』


そうさ気持ちはバーテンダー


意志あるところ本あり。


↓一番きゅんとくる記事↓

しろくまのパンツはあたたかい。



ご報告①「結婚しました」

これはTwitterInstagramFacebookと各種媒体で申し上げたとおりなのでご存じの方が多いかもしれませんが、2021年にあの小宮山剛が結婚しました。入籍は2月22日だったので翌日23日は株価大暴落が懸念されたのですが、幸いにも・・・また畏れ多くも2月23日は今上天皇のご生誕日でございましたので、市場は休み。世界・日本の経済は石原さとみショック・ガッキーショック・ましゃショックを超えたのではないかと予測されうる「つよしショック」を避けることができたのでした。

くだらないことを言う頻度を今後は0.01%/年毎に減らしながら、夫婦でゆっくりと歩んでまいりたいと思います。これは言い換えれば「いつも美しい君の前では常に冗談でも言っていないと、まるで初めてプロムに行くうぶな青少年みたいにガチガチになっちまうからしょうがないのさ!」という、控えめな愛の詞なのです。わかりますか?わかりませんか。そうですか・・・。



ご報告②「家族がもうひとり増える予定です」

上の写真でジェームス・ディーンみたいな風貌を魅せつけるナイスガイがもちろん小宮山剛なのですが、その隣でジュリエット・ビノシュばりの笑顔を放っているのが妻です。彼女はイギリスの血脈を受け継いでいるのですが、小宮山夫妻ともども英語はあまり得意ではありません。

彼女が椎葉村へ来てくれたのは2020年6月のこと。僕が担当する椎葉村図書館「ぶん文Bun」が開館直前の一番忙しい時期で、連日阿修羅のごとく働く僕の隣で、雄獅子のように髪振り乱しながら一緒に準備をしてくれました。

不思議と・・・いや必然と、椎葉村に来る=一緒に暮らす=正式な結婚も視野のど真ん中に入れる・・・という状況だったので、今後の家族計画なんかもぼんやりと話していました。「本当の僕は何人いると思う」「う〜ん、24人かな」「なんだそりゃ、ビリー・ミリガンかよ」みたいな会話・・・ではなく、

「ずっと二人で暮らしてく?」 「う〜ん、それもいいけど新婚気分のままでいられるとは限らないかも」 「そうだよね、そうするときっと子どもを育てるのって二人にとっても大事」 「子どもは何人?」 「たくさん」 「バカね」 「正直なところ、二人も三人もは大変な気がする」 「そうかも、妥当」 「まだ想像できないね」 「そうだね、私達まだ入籍だってしていない」 「アハハハハハハハハハハハハハハ、ウフフフフフフフフフフ」 「オホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホホ、ウフン」 「グフフ」

・・・みたいな会話を度々していました。阿修羅と雄獅子が。

・・・その頃の僕たちはもう29歳から30歳へと向かう時期にあって、30歳というと随分な大人なような気がしたりするものですから、結婚を正式に役所へ申し込むのは「2021年2月22日(ぶん文Bunの日)」と決め込みながら、果たして家族の計画というものも同時並行的に勧めてしまおうという仕事ぶりと相成ったわけです。

ここで注意しておかなければならないことの一つは、2月22日が「ニャンニャンニャンの日」だから入籍したのではないということです。にゃんこ大好きなのですが、ツッマは猫アレルギーなのです。

そして、そうこうしているうちに2020年の12月に妻の妊娠が判明しました。ここでもう一つの注意しておかなければならない点なのですが、それは世間でいう「できちゃった婚」とか「さずかり婚」とかいうものではありませんでした。あの検査器具に浮き出たほのかな桃色の線は、どちらかというと、まさに虎視眈々と狙っていた博打のサインプレーが成功したかのような「人生うまく行き過ぎてない!?」という、恐怖にも似た奇跡への感謝の対象なのでした。

それゆえに「虎視眈々婚=コシタンタンコン」と僕たちの結婚を名付けようと思います。まるでタンタンメンみたいで美味しそうだ。

・・・僕たちは今、お腹の中で9ヶ月目を迎えるいのちの親であろうとして、どのような姿であるべきかを模索している最中です。子どもを授かるということが社会状況にも生物学的状況にも難しい昨今において、こうした僥倖が僕たちにおとずれたこと。生まれてはじめてと言ってもいい素直すぎるほど素直な感謝をこの幸せに捧げて、なんとか「親」というものになる務めを果たす準備をしていきたいと思っています。


なお、僕はお腹の中の子の性別を知りません。なので男の子でも女の子でも(世間的に)通用する名前を妻と二人で考え、概ね決定しています。おおらかで芯のある考えをもち俗世に振り回されないような、心やさしい可愛げのある人になるように・・・そんな名前を考えてみました。

また「男の子でも女の子でも(世間的に)通用する名前」を考えたのは、生物学的・社会的な性別についての決定は本人に委ねようという気持ちを込めてのことでもあります。「美しくありたい」という根本思念さえ共通すれば、どのような身なりであったり身の振る舞いをしてもいいではないだろうか。そう、思うからです。

ご報告③「これからが、これまでを変えていく」

↑のキャッチコピーは、私のTwitterをご覧の方であればご存知の方が多いのかもしれません。そう、林遣都さんが市原悦子さんと主要な役を務めた映画『しゃぼん玉』のキャッチコピーですね。



僕が椎葉村へ来る直接のきっかけとなったのは、椎葉村地域おこし協力隊「クリエィティブ司書」というミッションです。しかしながらその面接の時教えていただいたこの映画は、そして林遣都さん演ずる伊豆見翔人の姿は「この村に住むことでいろんな自分を変えられるかもしれない」と思わせてくれました。もちろん「変えてもらおう」じゃなくて「変わる」という意志が重要なのは当たり前ですが、僕はこの映画のおかげで、そして椎葉村で担ったミッションのおかげで「これまでを変える」ことができたと思います。

そして、子どもを授かったことでもう一つ変えたい(変えなければならない)ことがあります。

それは「禁酒」です。

まずプラクティカルな問題として、妻がすでに妊娠9ヶ月であり「いつ生まれるともわからない」時期であるということを挙げます。そして彼女が産気づいたとき僕はどうするかと言うと、これは椎葉村に住む者は皆そうなのですが、1.5〜2.0時間をかけて周辺市街地(僕の場合は日向市)の産院まで運転してお連れする必要があるのです。かぎりなく冷静に、つとめて迅速に。

正式な予定日は9月初旬ということで多少早いようにも思いますが、キリがいいので7月26日の31歳になったその日から禁酒を始めています。この実務的な問題に関しては、椎葉村のオットの方々はみな一様にそうしています。 (実家暮らしで運転できる人が多数いる場合などは別かもしれませんが、我が家は二人夫婦ただそれだけなのです)

そしてもう少し広い視野でものごとを見渡すと、禁酒がもたらす多くのメリットが見えてきそうです。

まず僕の社交のやり方・・・というか性格の問題なのですが「呼ばれた飲み会は必ずいく」「二次会三次会四次会もいっちゃう」ということが挙げられます。これは若いうちこそ人脈なり交流なりが増え楽しいしなんともいいことだったのですが、31歳という年齢になった今「そのせいで成し遂げられなかったこと」「逃してしまった機会」「失った想い」の多さに愕然としてしまうのです。

僕は生まれながらに肝臓が弱く、一度酒を飲むと翌日の18時までは確実に残ります。「だったら2、3杯でやめればいいじゃん」とお思いになるかもしれませんが、それはいけない!実は酒に弱すぎるがゆえに、1杯でも飲むともう思考回路はショート寸前・・・焼ききれているのです。

時たま「お酒強いね〜」と言われます。それはそうかもしれません。ぐびぐびがぶがぶ飲むお酒を楽しむようになっているときはもう、この世のものが見えなくなっているのですから・・・。

話を戻します。まずは「妻がいつ産気づくかわからないから」という実用的な理由で始める「禁酒」なのですが、これを機にもしかすると生活そのものが変わるような気がしています。土曜日の朝5時まで飲み明かして、日曜日の夕方までウンウンうなりながらなんとか生き延びるという週末が普通だったサラリーマン生活・・・。そんな暮らしが、今ようやく変わる・・・変えられるようなチャンスが来たのだと思っています。 (椎葉村に来ただけでだいぶ改善されました。なんと言っても、ふらりと立ち寄る店がまずないのですから)

こういう現実を書くのはとても恥ずかしいことだし、当初は書くつもりもなかったのですが、これからを変えていくための決意として書き留めておきたいと思います。僕はほんとうに、駄目なのです。

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ひとつ申し添えておくと、僕は酒そのものが嫌いというわけではありません。一杯一杯の洗練されたグラスに注がれる極上のビール、バーテンダーさんが趣向を凝らして独自のものに仕上げるハイボール、魔性の酒、酒蔵のプライド・・・。お酒には素晴らしいストーリーがあり、僕は今までにいくつものブランドや「人」からその魅力を教えてもらいました。自分が仕事をするうえでの憧れはバーテンダーということで「そうさ気持ちはバーテンダー」という記事なんかも書いてしまったくらいです。


そうさ気持ちはバーテンダー


上に「禁酒」という言葉を出してしまった記事のなかで、僕がどんなブランド・お酒・バーが好きなのかを語ることはできません。しかしながら、本当に日本中各所の酒のある場所に素晴らしい出会い・集いがあることを僕は決して否定しませんし、これからも肯定し続けます。憎むべきは酒や他者ではなく、自分の弱さ・・・あるいは肝臓の弱さということにさせてください。

とにかく、世界のお酒好きがずっともっと幸せでありますようにと願っています。みんな大好きだよ!Te amo.

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・・・何を暴露しまくっとんねん!という感じですが、まずは9月初めに我が子と会える日まで、いつでも運転できる体力と気力を蓄えながら仕事・家事・ツッマへの献身に励みます!

早めの禁酒を決意したのは、命は当たり前に生まれてくるものではないと痛感する出来事が僕の目が見える範囲において非常に多く起こったからです。僕の目が二つに限られたものでなかったら、より多くの哀しいことがこの世で起こっている。そう思うと無念が絶えません。そしてもちろん、昨今のコロナ禍の影響もあります。

いのちの連なりの尊さにひしひしと触れながら、リスクを避け、いくらでもできることをしようと決意した次第です。この決意に関しては、とにかく揺らぐことがないでしょう。皆さまもどうか応援してくださると嬉しいです。

皆さま、拙い文章をここまでお読みいただきありがとうございます。

なお、応援の「スキ」があるとその分もっと頑張れるような気がします!!!笑

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