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  • 執筆者の写真小宮山剛

騎士団長殺し

更新日:2019年4月23日

 プレミアムフライデーと謳われた、午後の気だるさが約束された2月24日の朝、僕は今だかつてない婬猥な夢と共に目覚めた。そりゃもうすごかった。しかしながら往々にして無意識下の思考とこの僕たちに与えられた現世の思考とは相反するものなのだから、これは敢えて言うまでもないけれど、この夢の顕現は僕の実直さや誠実さを詳らかに顕してくれる出来事だと思う。


 2月24日、プレミアムフライデー。僕は昼までの間、仕事場で椅子から立って、そして座ってを繰り返しながら、出鱈目な数字をのべつくまなしに数え上げて過ごしていた。数字を数え上げる。それは集中とある種の技術を要される行いなのだけれど、僕は生まれつきそういったあまり害はないけれど利益もない営みに向いているらしい。それは僕の最も得意とする作業だった。


 ただし今日ばかりは、頭の芯が冷凍されたキャベツになってしまったかのように、思考の回転がことごとく阻害されていた。朝の婬猥な夢のことを思い返してみても、事態は変わらなかった。それは既に、救い用のないところまで来ていたのだ。騎士団長。騎士団長。騎士団長。僕は数字を数え上げることを諦め、彼の新作の題名をひたすらに呟きつづけた。


 思い返せば、僕は無意識のうちに、ここ二週間ほどの間そのようにして心を鎮めていたのかもしれない。実際に声に出していたかどうかは別としても、ともかく表層下では動とも不動ともつかないはたらきが活性していた。「不動の動者」。そんな言葉がここに導き出されるほどに、今日という日は記念すべきものだと思う。だからこそ僕は、ある程度立派なオフィスの二階で、ある程度周りに聞こえる声で、マントラを唱えるかのように呟き続けた。「騎士…団…長…。騎士…団長…」


 『職業としての小説家』をおさめた村上は、おそらくはスコット・フィッツジェラルドの「神棚に飾られ続けていた」小説『グレート・ギャツビー』を邦訳し始めたときのような、ある種の準備を終えた段階に達していたのだろう。そうして教団「かがやき」と異空間のスレッショルドを巡る『1Q84』以来の「本格小説」と銘打たれた小説が紡がれた。「本格小説」が意味するところは「どこであれそれがみつかるところで」に書かれたような、雨傘であれドーナッツであれ鏡であれ、そうした異空間へ僕たちを運んでくれる事物、あるいは『海辺のカフカ』(もちろん『ねじまき鳥クロニクル』『1Q84』もこの系譜に属する)におけるメタフォリックな連環性、といった「僕らには見えない向こう側への導き」を展開してくれる小説であるということだ。あるいは彼は『騎士団長殺し』の創作において、向こう側への到達を果たしたのかもしれない。そうでないかもしれない。


 おそらく僕がこれだけのことをある程度声高に叫び終えたところで、12:00を告げるベルが鳴る。プレミアムフライデーの昼休み。僕はおもむろにリュックサックを背負いこみ、オフィスの二階から飛び降りるように駆け出していった。


 'Soylent Green is made of people!' 


 そう叫ぶ僕の後ろからは「あいつ、プレミアムな野郎だぜ」。という賞賛が聞こえてきたように思う。あるいはそれは、風が谷間に反響して起こす自然の声のように、表面的には意味がないようだが、ものごとの核心においては他に替えられない役割を果たすような、そうした類の導きだったのかもしれない。と同時に僕は、今までに見た中で最も美しい胸の谷間を思い出す。あれはグランド・キャニオンのような雄大さを豪勢に見せつけながら、高千穂峡の神聖さひっそりと親密な形で保っていた。僕は今一度その、今までに見た中で最も美しい胸の谷間を思い出す。


 会社の中では「小宮山、何も言わずに帰ったぞ。プレミアムすぎるやろ」と、今思い返せば当たり前のような議論が渦巻いていたという。「という」と言うのも、僕はそれを風の唄で聞いただけだからだ。


 昼休みの始まりと共に会社を出た僕は、いつの間にか土曜日の昼を迎えていた。手には『騎士団長殺し』とアリス・マンローの作品集を持ち、散ってしまった河津桜の花びらを鼻頭に乗せて、市民プールの真ん中に浮かんでいた。そこにあるべき24時間と32分が消失しており、その間の記憶も消失していた。「悪くない」と僕は思う。市民プールのじゃわめぎの中で、僕はただ一人着衣状態で水面に浮かんでいた。模様の無い天井を眺めながら、僕は婬猥な夢のことを思い返していた。婬猥なことは覚えているんだけど、一体僕「たち」は何をしたのだったろう。


 「そこは、真ん中なので邪魔になります」


 沈黙のたゆといが引き裂かれ、僕は肩を揺すられた。僕は水面に浮いていた状態から姿勢を変え、恐る恐る水底に足をつけてみる。そして、沈黙への侵入者を睨みつける。


 「あなた、プールのど真ん中でスーツを着たまま浮かんでいるなんて、頭がどうかしているんじゃないの?」


 彼女の指摘はごもっともだったし、何よりもその高すぎもせず低すぎもしない、ちょうど『ティファニーで朝食を』のホリー・ゴライトリーや『グレート・ギャツビー』のデイジー・ブキャナンのパートを音読してもらいたいような声が、僕をひどく従順にさせた。そして何よりも、彼女は美しい胸の谷間を持っていた。僕はその谷間を眺めながら、何故か世田谷区の渓谷を歩いたことを思い出した。白くはあるが健康的な、果断に溢れた谷間だった。

 「とにかく、そこをどいてくれないかしら?私トレーニングを続けたいのよ」


 トレーニング。と僕は思う。それはどんなトレーニングなのか、彼女の切れ長の目元を見つめながら想像する。あるいは想像だけでなく、声に出して彼女に尋ねていたのかもしれない。何せ僕はその時、彼女の声以外の一切の振動を鼓膜から排してしまっていたから、自分が何かを言ったのかどうかなんてわからなかった。もしかしたら彼女に対してひどいことを言ってしまったのかもしれない。


 「あなた、今どこにいるのかわかっているの?」


 「たしかなことは、ずぶ濡れだということ。それ以外は何もわからない」


 「何もわからない?」


 「何も」


 「よかった。それはあなたが、何かを見つけたということよ」


 僕は市民プールの水の中に潜り、水中の彼女の身体と向き合った。本来はそこに、美しい谷間より下の彼女の身体があるはずだった。しかし実際には、生い茂るヒースの平原が広々と広がっていた。そこには表面的な恐怖と、潜在的な憧憬の香りがした。荒々しい大地に分け入っていく、冒険の香り…


 「僕は一体、どこに来てしまったのだろう」


 ビルの隙間、垣根の間、水溜りの底、海底、密林の奥… そうした場所に溢れる異世界への入り口は、今や数々のかたちに姿をかえて僕たちの周りに辺在している。傘、電話機、ピンボール・マシン、新聞紙、万年筆… 僕はその一種を、最も美しい胸の谷間をもつ女の股の間に見つけたのだった。さらばこの世界。最も醜く驕り高い、素晴らしき愛と強欲の世界よ。


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要約: 南米文学に分け入っていこうと思いやす!さらにはフィッツジェラルド復習。これが今年の目標ですね。もちろん『スコット・フィッツジェラルド・ブック』が手引となります。

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