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  • 執筆者の写真小宮山剛

そして静岡を、僕は西へ東へ

【そして静岡を、僕は西へ】


3月11日は夢野久作の命日だ。かといってその日に『少女地獄』を引っ張り出してきたり、スチャラカスチャラカと踊ってみたりはしない。また『ドグラ・マグラ』に出てきたのを懐かしんで、吉塚うなぎを食べたりもしない。僕は何かの日付を過去と現在、あるいは未来において結びつけるという信条にどうしても馴染めないのだ。2011年の3月11日と2018年の3月11日とはあくまで別の日なのであって、そこに同じ何かを読み取ったり感じたりすることはできない。


誕生日だって、バレンタインだって子どもの日だってそうだ。あくまで設定された日付に扇情されるのではなくて、日ごろから愛することをわすれてはいけない。それができない愛は、埋もれたも同然のポンキチだ。


それでいながら、僕は3月11日という日付に何かを感じることになる。2018年の3月9日、僕は掛川駅に降り立っていた。僕が25歳のときに「30歳までに東海道を歩破する」と目標立てて始めた東海道ロングウォークも、ついに静岡西部へととりかかることになる。今回の目標は「脱・静岡」である。長かった静岡だが、この先にまだまだ浜名湖エリアが待ちかまえていると思うと多少憂鬱でもある。とはいえ、歩きださないことには始まらない。僕は掛川駅出て、西へと進路をとる。


掛川城の周囲には河津桜と思しき桃色が栄えていた。発祥の地河津には、大学生の頃から9年間、そのうち1年を除いて毎年訪れている。この東海道ロングウォークといい河津桜といい、僕は意外と辛抱強い努力家なのかもしれない。そうであってほしい。掛川西高校からは野球部の掛け声が盛んに聞こえてきて、努力にいそしむ生徒たちの姿がまぶしい。それを見ているうちに「あぁ、僕はいままでいろんな物事を途上でやめてきたんだった」とやるせなくなる。ひとつのことに必死で打ち込み続けるということを僕は知らず、きっとやみくもに目立ちそうなことだけを何度となく取り上げては、それをまた唾棄し続けてきたのだ。こうして日記のようなものを書くのにしても、そうかもしれない。出だしから気が滅入る。


暗鬱。僕がこうして歩くとき、僕はだいたいそういう暗鬱のなかにいるか、あるいは何か思考の整理を必要としている。歩いていると「大したことないじゃないか」「すべてうまくいくさ」という気持ちになるし、なにより、大切な人のことを思って愛情があふれる。これはたぶん、エーリッヒ・フロムがいうところの愛の鍛錬を遂行しているからだろう。自我への愛を自分が好きな行為に熱中することで高めながら、僕はほんとうに愛すべき誰かを具体的に手に取るようにそこに想像し、ただ抱きしめるのだ。暗鬱と愛の交錯。


一日目で浜名湖を拝みたいものだな、と思いながら歩を進める。ただし、それが実際に達成されるかどうかはその日の体調と心持ち次第だ。じっさいのところ僕は前々日に家の前で豪快にすっころび、左ひざと左手に大きな傷を負っていた。傷跡は開いたままで、手の平から放出される体液は未だ止まらず、左ひざはスウェットパンツにこすれて痛い。出だしからまったく不穏な雰囲気である。掛川よ、僕をもうすこしまともなかたちで送り出してはくれないのかい?とはいえ、東海道をめぐる様々な旅情を味わいながら歩行するのはとても気持ちがいい。痛みすら忘れる、とはとても言えないけれど、僕は上機嫌に歩き続ける。途中コンビニで、懐中電灯とチョコレートとコカ・コーラを購入した。いままで愛用していた懐中電灯は、前回のロングウォークのときにアスファルトに叩きつけてしまい割れてしまった。いろんなものが、毎日アスファルトに叩きつけられて割られているのだろう。なにせ日本はどこもかしこもアスファルトだらけで、その半分はたぶん駐車場なのだから。そう森山直太朗が歌っている。


そんなことを歌いながら歩いていても寂しいので、僕はウォークマンをリュックサックのサイドポケットから取り出す。こんなときは佐野元春を聴きながら歩くと相場は決まっているのだ。愛しのアンジェリーナ、君の声を聴かせておくれ。ブロンクスの喧騒よりも、オーセンティックなバーにいこう。そしてそこでとびきりのジン・トニックを飲ませてあげる。もちろんライムでなくてオレンジを絞ってもらうよ。僕はいかついアイラ・ウィスキーの香りに酔いながら君の横顔を眺めるんだ。それでベストだよ、アンジェリーナ。しかしアンジェリーナと僕が出会うことはない。数日前に家に泊めて三回ほどセックスしたトンキチ女が、朝方にヘアアイロンを使うためといってウォークマンの充電コンセントを抜きやがったのを忘れていたのだ。まったくあの女ときたら、朝方にシャワールームをびたびたにしやがるわ、洗面所を牛小屋か何かと思うほどに毛だらけにしやがるわ、ロクな思い出を残していかなかった。とはいえ、もう一度もし会えたなら幸せだと思う。名前も連絡先も知らない僕のアンジェリーナ、僕は彼女の臀部に小さなほくろがあったことを思い出し、勢いづいて歩きつづける。そうこうしているなかで僕は財布を無くしてしまい、浜松に着いた頃にそのことに気づくことになる。


浜松に近づいてきたくらいで、その日の浜名湖周辺着を諦めた。左ひざの傷など関係なく、僕はところどころで足を止めてしまっていた。もう限界だ。僕はずっと又吉直樹さんの『劇場』をaudibleで聴きながら歩いていて、心の持ちようも限界に達していた。まったく、なんでこんなにも哀しい人のストーリーが世の中にはあふれているんだろう。永田が「自分のことを怪物のように思う」と言う。毎日永田は散歩に出て、なんの創作もせずに居候先の女の家へ帰る。夜中中歩き回って財布を落として、なんの創作も得ずに時を喰らう僕と、この主人公とは何が違うというのだろう。


浜松駅付近のホテルでは、一軒目では「団体様のご予約で満室でございます」と断られる。僕は歩くのもほうほうの体で、髭ものびっぱなしだったからかもしれない。荷を背負い苦しむ人はお立ち寄りなさい、という教会とはえらい違いだ。ひどい目にあったよアンジェリーナ。でもホテルを責めることはできない。すぐに別のホテルで部屋を見つけることができた。旅行のシーズンではないから、これが当然というものではないか。


エレベーターで7階に上がろうとすると、学生さんと思しき一団が降りてきた。僕は思わず「団体さんの宿泊?」と聞いてみる。そのうちの8割が気持ち悪いものを見る目で僕を見やったが、一人の女の子が「そうです、よさこいで」と笑顔で返答してくれる。僕はさっきのホテルの断り文句が嘘でなかったことと、その女の子の笑顔にグッときたことで舞い上がってしまった。早咲きの桜が六分先の頃のような、晴れやかな笑顔だった。シャワーを浴びたばかりなのか多少濡れた髪が地球の重力に振られている。僕は「そうか、お疲れ様です。君たちこれからどこに行くの?僕はひとりで暇なんだ。よかったらどこかでビールでも飲まない?といってもお店は知らないんだけど」と声をかける、その女の子だけじゃなくて、全員に。もちろん。別の女の子が「わたしたちこれからラーメンを食べにいくので」と答えた。感じのいい、とてもラーメンが食べたそうな顔だった。胸ポケットから「マイレンゲ」を取り出しそうですらある。


僕はラーメンを食べに向かう一団と別れ、ひとり部屋に入った。映画見放題だというサービスが無料でついていたけれど、すべて観たことのあるものしか上映していなかったので、僕はBSで放送されていった『ロスト・イン・トランスレーション』を観た。スカーレット・ヨハンソンの下着姿を眺めながら自分の下着を脱いで、裸でベッドに横たわる。明日はどこまで行こうかとグーグルマップを起動し、明日こそは静岡を出ようと決意する。


目が覚めると、もうチェックアウトの時間が迫っていた。朝食サービスを無駄にしたなあと思いながら上半身を起こすと、昨日の疲れはまったく抜けていなかった。無理もない。ホテルに着いたのは夜12時、それから『ロスト・イン・トランスレーション』を観てあれやこれや、寝たのは結局朝の6時くらいだったのだから。3時間の良き睡眠、どんな夢をみたかも覚えていない。足の裏全体が痛み、マッサージするととれてしまいそうだった。ここから浜松駅まで歩いて、新幹線で静岡に直行。という手もある。しかし脱静岡だ、僕は歩き続けるほかない。


3月10日、浜松駅を過ぎて西へ向かう。このあたりの住宅街にはアイシン精機のエネファームがたくさんつけられていた。いよいよ愛知に近い。一貫して平坦な東海道沿いは、どこか大磯とか二宮とかそのあたりの、峠の手前を思わせる情景を思い出させた。フェニックスのような、南国めいた木々が増えてきた。もう僕たちは春のなかにいて、浜名湖はもう近い。僕は勢いづいて歩を進める。豆がつぶれたけれど、絆創膏を貼ってしのいだ。頭の中で『青春の影』を再生しながら歩き続ける。僕の大切な人は誰だ、その人を、消えてしまわないように思おう。愛するということ・・・フロム。僕は繰り返し繰り返しチューリップを、ときに声に出して歌った。この道はきみの家へとは続いていないだろうけれど、きっと繋げてみせる。そうだよアンジェリーナ。僕はどこへだって行けるんだ。


「うなぎ」の看板を眺めるたびに路上で座り込むことになっていた。足はひどく痛み、まだ10キロほどしかその日に歩いていないことをグーグルマップで確認し、心ははり裂けた。あまりにも休憩を長くとりすぎて、かえって下半身は痛み続けることになった。もともとは一日目の目標地としていた弁天島に、照準を定めなおすことにする。まったく、どうして静岡はこんなに長いんだろう。携行していた『オン・ザ・ロード』のサルは、既にシャイアンの酒場で乱れ騒ぎをしていた。おいおいケルアック、ちょっとはこっちのペースを考えてもみてくれよ。僕は静岡横断もできていない。君はもうアメリカ大陸を横断しちまった。小さな小さなア・メ・リ・カ。


弁天島に着くと、ホテル「開春楼」がみえた。すごい名前だ。問い合わせてみようと入り口に立つと「本日満室」と書かれた看板にさえぎられた。またよさこいがあるのかもしれない。きっとここ数日は全国どこでだってよさこいが催されているのだ。僕は仕方なしにその隣にある「The Ocean」というホテルに歩を向ける。ただ、なんだか入り口の居住まいがとても立派にみえて、スウェット姿でつまみ出されたりしたら大変だと思い、入り口のすぐそばの路上に座り込みスマートフォンを起動する。値段やドレスコードを一応調べ、大丈夫そうだとある程度の確信を得てから電話する。入り口からわずか10メートルくらいのところから予約電話をかけているという構図だ。


「はい、ホテルThe Oceanでございます」と受付の女性が出た。クリスプな声がとても気持ちいい。鍛錬された印象を受ける、大企業の受付係みたいな声だ。僕が今日泊まれる部屋はあるかと尋ねると、彼女がパソコンを操作する手つきが聞こえる。無駄のない、きっといくつもの動作が短縮されて効率よく行われているのであろうことがわかる操作音だった。

「和室のお部屋ですとすぐにご用意することができます」と即答が返ってくる。「何時からチェックインすることができますか」「15時からチェックイン可能ですので、いつでもご来館ください」時刻は15時30分をすこしまわったところだった。すべてが完璧、いい兆候だ。

「すぐに向かいます」と言って、僕は上下スウェットに大きなリュックサックという恰好でホテルに突入した。その間わずか15秒。しかし、そこには既に受け付け状況を完璧に把握した係の人がいて、僕に用意された部屋の情報をすぐに与えてくれた。エントランスホールにはビリヤード台があった。僕は、ここは「いるかホテル」かもしれないな、と思う。『ダンス・ダンス・ダンス』のいるかホテルは、ドルフィンホテルだかそんな名前にかわって、どこか虚飾めいた豪勢さのある施設へと変貌してしまう。とすると、この受付係の女性はユミヨシさんなのかもしれない。繋がっているのかもしれない。僕は部屋に戻ったら彼女がいる受付に電話して「ユミヨシさん?」と訊いてみようかと思う。でも、すぐに思い直してやめた。僕はとてもとても疲れていたし、The Oceanの受付係の女性は誰ひとりとして、眼鏡をかけていなかったからだ。


【そして静岡を、僕は東へ】

ホテルThe Oceanの中では専用の館内着があって、どこへだって行けた。バーにも行けるようだったが、さすがにややもすれば下着が見えてしまうような恰好でバーに行くのは気が引けたので、僕は夕食の時間まで大人しくしていた。一度だけ、温泉にいった。温泉では60歳くらいの男性が一人湯船に浸かっていて、僕と彼との二人だけの空間が生まれた。僕は先にシャワーを浴びて丁寧に体をすみずみまで洗った。長らく歩いて蒸れてしまった足の裏をよく洗おうとすると、豆がひとつ潰れた。


ひととおり身体を洗い終えると、湯船に浸かっている男性に僕は声をかける「お一人ですか?」しかし男性は浜名湖が映ずる窓を眺めたまま微動だにしない。それは仕方のないことだ。なにせ、窓の向こうには夕暮れの浜名湖が延々と広がっているのだから。僕は男性からすこし離れたところに座り、黙って夕焼けの色の移り変わりを眺めていた。全身に温泉の湯が染みわたり、すべての傷口が痛かった。


夕食はとても美味しいビュッフェ・スタイルだった。以前泊ったことがある浜名湖周辺のとあるホテルでは、まるでイギリスで食べるみたいなウナギの生臭さに愕然としたことがあったけれど、ここのウナギはとてもソリッドで歯ごたえがあった。会場は女子バスケットボールの中学生と思しきチーム団体で賑わっていて、僕はその喧騒に混じりながらウナギを食べ、それから様々な肉を食べた。食べながら、それぞれの動物や魚がどんなことを考えながら殺されたのかと思ってみる。とはいえそんなことわかるはずもないので、ウナギはウナギ的なことを考え、牛は牛的なことを考えていたのだと思考を終わらせる。我ながらずるい終わらせ方だと思うけれど、人間には人間的なことしか考えられないのだからしかたない。


夕食を終えると、もう一度温泉に行くことにした。全身が痛んでいたけれど、温泉に入ることで多少良くなっているようにも思えた。僕が止まっていた部屋は8階にあって、温泉は4階にあった。でもその前に煙草を吸いたかったので、僕は一度喫煙ルームのある2階へ降りていった。とても階段の上り下りなんてする気になれないので、エレベーターを使う。ようやく喫煙所にたどり着いた僕は、ほうほうの体になりながらショート・ホープを取り出し火をつけた。そのまま換気扇に吸い込ませてしまうのが惜しいくらいに美味い一本だった。


そのまま二本目を吸っていると、一人の女の子がやって来た。いかにも煙草を吸いそうな、茶髪で眉毛の無い、背の小さな女の子だった。笑うととても人懐こそうなんだけれど、真顔だと険しい表情に見えてしまうタイプで、煙草の種類はもちろんクール・メンソールのはずだ。だけどその子が館内着のポケットから取り出したのはアイコスだった。「そんなのって無いよな」と僕はうな垂れる。煙草はショート・ホープかマルボロの赤と相場が決まっているなかで、かろうじてメビウスやウィンストンやラークなどの亜流を許してきた。そして、茶髪で眉毛の無い、背の小さな女の子はクール・メンソールを吸うはずなのに。アイコスを吸うだなんてあまりにもひどい。僕は意気消沈しながら早々に温泉へと去り、いらだちながら裸になった。浴室に入るとそこには、夕食の前にも会った60歳くらいの男性が浴槽に浸かっていた。


ずっと温泉に浸かっているのだろうかとも思ったけれど、そんなことはないと思い直す。僕が先ほど彼をみかけてから、ゆうに3時間は経っている。僕はその間に一度部屋へ帰り、ビュッフェスタイルの夕食をとり、喫煙所で女の子の煙草の種類に愕然としていたのだ。その間中ずっと温泉に浸かっているなんて、そんなことがあるわけはない。今回は、その男性と二人ではなくほかにも入浴者がいた。学生と思われる何人かの男の子で、一人の子がシャンプーのすすぎをしているそばから他の子がシャンプーを頭にかけているものだから、彼の頭は延々と泡立っていた。全員が大笑いをしてとても騒がしかったけれど、60歳の男性はまた黙ったまま、浜名湖を見つめ続けている。窓の外は暗闇でしかなく、もう夕焼けも弁天島もそこには映っていない。


僕はシャワーを浴び終えると、興味本位で男性の隣に座ってみた。ちらりと男性の横顔を見ると、寝ているわけでもなく、薄目を開けて浜名湖のほうを向いている。僕もそちらを向いてみるけれど、窓の外には何も見えなかった。


急に男性が「私も一人だよ」と言う。「え?」と聞き返す僕。


「いや、今君が『お一人ですか?』とお訊きになったから、お答えしたんだがね」と薄く笑う男性。


「そうでしたか・・・」


僕はとりあえずのところそう答えながら、わけがわからずにいる。この男性は「本当に」ずっとこの温泉に浸かっていたのかもしれない。そういえば、位置も変わっていないような気がする。そして僕が「今」問うた内容に対して、応えてくれているのだ。さらに言えば、この男性もまた一人で、ホテルThe Oceanに泊まっている。


「君がはじめてだ」と男性が再び口を開き、僕のほうを向きもせずに続ける。


「私に話しかけてきたのは、君がはじめてだ。どうやら私はもう、無いものになってしまったと思っていたが、そうでもないようだ。君には私が見え、私にも君が見えている。そうしてほら、窓の外の夕焼けが綺麗だろう・・・私たちにはなんだって見ることができる。見ようとすれば、の話だがね」


窓の外には相変わらず暗闇が延びているだけだった。わずかに見える光と言えば、遠くはるか向こうを通行する、誰のものかもわからない自動車のヘッドライトのみだった。


僕は部屋に戻る前にもう一度喫煙所へ行き、心を落ち着かせることにした。そうするとそこには、さっきの茶髪で眉毛の無い、背の小さな女の子がいた。険しい顔をしながらアイコスを吸っている。僕はもっと険しい心持になりながら彼女の隣に座り、思い切りショート・ホープの煙を吐いてやった。これが煙草と言うものだ、少女よ。


女の子は険しい顔でこちらを向く。かまうものか、そんなものを吸う君が悪い。ふと感覚的に、女の子が何かを口にするというのがわかる。何を言い出すのだろうと、僕は身構える。

「あの、もしよかったらなんやけど、その煙草ばもらえんでしょうか?」


僕は頭の先からかかとまで面食らってしまう。僕の生まれである九州の言葉で、茶髪で眉毛の無い、背の小さな女の子が、険しい表情をやめて「その煙草ばもらえんでしょうか」と言っている。僕に対して。「もちろん」と僕は標準語で答えながら彼女にショート・ホープを渡す。小さな手だけれど、指が細くて綺麗だった。左手の小指にリングがはめられている。

「懐かしかぁ。昔はよう吸いよったとですよ、ショッポ。アイコスはいかん、味のようなかです」。ほど良い九州弁が心地いい。僕はすぐさま、自分も九州の出身であることを彼女に明かした。彼女は鼻から煙を吐き出しながら喜んだ。無いはずの眉毛が豊かに表情をつくり、とても可愛かった。彼女は会社の旅行で静岡に来たのだと言う。僕はたまたま湯治で来ているのだと言い、ロングウォークのことは話さなかった。とくに盛り上がるとも思えなかったから。僕は彼女が帰ってしまわないようにもう一本のショート・ホープをすすめ、九州の話をしようとした。それでも彼女が九州のどこの生まれであるか、どんな学校に通っていたかについては「福岡ではない」ということしかわからなかった。なかなかはぐらかすのが上手い。僕は彼女がお酒が好きだということを聞いて「よかったら僕の部屋でビールでも飲みませんか。一人旅行なのでとても暇なんです」と切りだしてみた。すると茶髪で眉毛の無い、背の小さな女の子は「会社のみんなが心配するけん」と辞退した。断り文句もなかなか良くて、また話したくなるような笑顔も添えられていた。


翌朝もう一度温泉に入ってみたけれど、もう60歳の男性はいなかった。喫煙所には、茶髪で眉毛の無い、背の小さな女の子はいなかった。そして僕の全身の傷みも不思議に消え去っていた。


僕はホテルThe Oceanを出て、西へと向かう。その前に、もう一度弁天鳥居をみておきたいと思い海のほうへ向かった。それくらい僕の全身は快調で、どこまでも歩いていけそうな気がしていた。海へ向かう途中に小さな神社があり、そこには弁天島の由来らしき文章が書き記されていた。要約すると、まだ弁天島が陸続きであった頃に天女が舞い降り、当時そこに住んでいた人々はたいそう喜び、今のこの神社にあたる社を建立し祀った。しかし天女は気をかえてしまい、別の地に降り立つことを選んでしまう。いわば弁天島は「見捨てられた土地」であり、そのときに選ばれたのが三保だという。


「見捨てられた土地」


この文字が頭から離れない。Promised Landとは真逆の、Lost Generationのように過ぎ去ることも無く、永劫の記憶としてそこにくさび付けられた土地。ふと映画『人類遺産』の光景がフラッシュ・バックする。僕たちはいくつもの「見捨てられた土地」を知りつつ、あえて忘れることによって心の平衡を保っている。『君の名は。』の糸守だってそうだった。あえて忘れるという行為は、ときとして自分自身、あるいは大切な誰かを守るために必要とされる行為なのだ。


3月11日だった。海沿いにあたる弁天島に、サイレンが響きわたる。


「ツナミケイホウ、ツナミケイホウ。コレハ、クンレンデス。ツナミケイホウ、ツナミケイホウ。イマスグ、ヒナンシテクダサイ」


2018年の3月11日と、2011年の3月11日が重なり合う。あの日のサイレンは、人々の耳にちゃんと聞こえたのだろうか。「神に見捨てられた土地」、弁天島。僕はそこで、可能性の話にいきあたる。「もし」天女が三保でなく弁天島を選んでいたら・・・「もし」ティアマト彗星が糸守ではないどこかに堕ちていたら・・・「もし」3月11日が・・・


サイレンはひととおり鳴り響いたあと、何もなかったように止んだ。海辺では子どもづれがたくさん遊び、弁天島までを行き来するボートには観光客が集まっていた。「ここは、津波なんてなかった世界なのだ」と僕は思う。僕が3月11日に津波が起きた世界に生きているのならば、そんなことは無かった世界に生きている人たちがいてもいいだろう。そこでは、別の日に津波が起きているかもしれないし、別の巨大でかなしい出来事が起きているかもしれない。それでもそのどちらの世界においても、それぞれに美しい出来事が起きているはずだ。そして僕が創らなければならないのは、考えなければならないのは、そのどちらの世界だってありうるのだという可能性、そのどちらの世界をも行き来できるのだという可能性なのだ。それはすなわち、物語だけがもつ力なのだ。


僕はその「3・11を知らない世界」を後にして、東海道を西へと向かい始める。今日は豊橋まで行けるだろうか。もし行けなかったとしたら、近くのホテルに泊まればいい。そこにはきっとまた温泉があって、60歳か70歳の男性が窓の外を眺めていることだろう。よさこいの団体が泊まっているかもしれない。そして喫煙所には決まって「茶髪で眉毛の無い、背の小さな女の子」がいる。僕は彼女を自室に誘い、断られる。


それも一つの可能性だし、僕はどんなところへだって行ける。東海道を進み続けるのもいい。逆走して東へ向かうのもいい。あるいは上へも、下へも・・・僕が本当に行きたいのはどこなのだろうか。


【そして静岡を、僕は西へ東へ ~以下ノンフィクション~】

あと3年で、僕は30歳になる。ギャツビーが死んだときのニック・キャラウェイの年齢と同じだ。ここで僕は、今まで住み続けた静岡を離れることを決意する。「そして静岡を、僕は西へ東へ」。奇しくも静岡ガスに入社して3年目の年に始めた「東海道ロングウォーク」においていよいよ静岡を西へ出きったところで、僕は静岡を東へ旅立つことになる。これからは東京都世田谷区に居住します。


福岡で生まれ、東京で大学生時代を過ごした。そして静岡で社会人生活を始めたわけだけれども、まだまだ安住の地を狙うには早かったようです。「早すぎた」ことは確かですが、静岡ガスに入社したことに間違いはありませんでした。必ず、間違いはありませんでした。「もし入社しなかったら」というのはそれは可能性の話であって、そちらで紡がれる物語はその物語として、また楽しいものになっていたのかもしれません。


静岡では計11回もの送別の場を催していただき、ありがとうございます。皆さまよりいただきましたアルバム・万年筆・ブックカバー・辞典・お菓子・ビールが冷めないやつ、などを見るにつけ「なるほど、これが自分の見られ方か」と思います。幸いにも静岡と東京は近いことですし「最後に」と言わず、またお会いできるものと考えております。そもそも、35歳程度でどこにでも住めるようにという目論見をかかえた転職でございますから、また静岡を選ぶ「可能性」だってあるわけです。


すべては可能性の話、と言いたいところですが、僕はどちらかといえば決定論的思考をする人間です。人生というもののいずれの部分においても、何かしらの縁や運命を感じます。もっといえばカスタネダの本とかカルマとかそんなものを、僕は偏に信じながら生きているわけです。なので「選択をする」ということの可能性よりも「繋がっているどこかがある」という可能性を僕は信奉しているわけであって、その繋がりをいろんな階層に区別して考えると、東京での暮らしと静岡での暮らしという僕自身の問題でさえ、あらゆる運命によって結びつきのあるものだと思うのです。静岡で誰かがウィスキーの瓶を叩き割った波動によって、東京の僕が転ぶことだってあり得るのです。


すなわち、2018年3月をもって僕は5年間面倒をみてくださった静岡ガスを退職します。が、そのなかで皆さまからいただいたどんな縁も、切れることが無いよう祈っているということです。そして、皆さまに心より感謝しているのと同時に、何も間違ってはいないという確信をもっています。


ロングウォークでは、3月11日に無事豊橋までたどり着くことができました。次回は豊橋からスタート・・・ですが、途中で静岡に寄ることができればと願います。そのときにもし、静岡で一緒に飲むだけではなく、豊橋~四日市間の道のりを一緒に歩くことができれば最高ではありませんか? ・・・ 要は、いつも一人で歩くのにも疲れたということです。人生には、同じ方向を向いて歩く人が必要です。少なくとも、必要とする人間らしさをもっていたいと思っています。


「そして静岡を、僕は西へ東へ」2018年4月1日 小宮山剛 

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