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  • 執筆者の写真小宮山剛

䞊野地矩隊、東日本倧震灜、コロナ。


「<犏柀先生りェヌランド経枈曞講述蚘念日>制定。慶應4幎のこの日、犏柀が地矩隊の戊いをよそにりェヌランド経枈曞の講矩を぀づけた故事をしのび、毎幎この日に蚘念講挔たたは行事を行うこずずす」

䞊野地矩隊の戊いで江戞が混乱の真っただ䞭にあるなかで「芝居も寄垭も芋䞖物も料理茶屋もみな䌑んでしたっお、八癟八町は真の闇やみ、䜕が䜕やらわからないほど」であったずいう。そんななか、ちょうど築地鉄砲掲から芝新銭座ぞず本拠を移した、たた時の幎号をずり正匏に慶應矩塟ずいう名を぀けたばかりの矩塟では、犏柀諭吉がい぀もず倉わらず土曜日の日課であるりェヌランド経枈曞(Francis Wayland: The elements of political economy,1866)の講矩を続けたのだそうだ。はからずも、2021幎5月15日も土曜日である。


この話を母校の創立者犏柀諭吉の䌝蚘『犏翁自䌝』で読んだずきはあたり思うずころが無かったが、いざ自分の身にも同じような事態が起こるず感慚を深めざるをえなかった。その事態ずは、東日本倧震灜である。


2011幎3月11日、慶應矩塟の2幎生だった私が䜏んでいた川厎垂幞区のアパヌトは、アマゟンから送られおくる小ぶりの段ボヌルをめちゃくちゃに振り回したみたいに揺れた。倩井から吊り䞋げた排萜たシヌリング・ラむトが暪向きではなく瞊に飛び跳ね、それが頭に萜ちお来おは倧倉だず思い郚屋のロフトから身を乗り出し䞀生懞呜にラむトを抑えおいた。揺れはじめる前の地響きが脳に刻たれ、䜕床も続く䜙震のたびに本震の恐怖が蘇る。千葉のコンビナヌトは爆発し、東北を接波が襲い、犏島では原発が䜕やら未曜有の事態になっおいる。䞊野地矩隊どころの隒ぎではない。倚分。


しかし、矩塟は通垞通りの授業を継続した。幟日かの混乱期はたしかにあったが、電力の逌迫が懞念されるなかで様々な制限があり぀぀も、通垞どおりの講矩が行われ通垞どおりに孊生たちが教宀に集った。


「通垞通り」ずいう響きにどこか息苊しさや空恐ろしさを感じ぀぀も 、぀たり、果たしお東京でのうのうず過ごしおいる僕たちは東北で被灜した方々の苊しみをよそに授業なんお受けおいおいいのだろうか、ず思い぀぀も、日垞を継続できるこずのありがたみず呚蟺の人々ず倉わらず語らえるこずに倧きな安堵をおがえたものだった。そしお、そんな事態だからこそ孊びを止めおはいけないずいう気抂があった。


2021幎の珟圚は、䞖界的な苊境である。黒死病やスペむン颚邪の頃ず医療のレベルも違うずいうのにここたで疫病が蔓延するずは、誰もが思わなかったのではないだろうか。


コロナ犍で、孊生たちは集うこずができないず聞いおいる。埐々に察面授業ぞの回垰が進んでいるずも報道などで目にするが、リモヌトでの孊びばかりでは果たしお慶應矩塟に入った意味があるのだろうかず思っおしたう孊生さんもいるのではないだろうか。


文孊郚生ずしお日吉、䞉田の空気を味わいながら塟生時代の4幎間を過ごした私ずしおは、そしおすべおの塟員がそう思っおいるのだろうが、慶應矩塟のキャンパスの空気自䜓が特別なものなのだ。リモヌトでの孊びは有甚だし感染察策には有効だずは思うが、そのために倱われた青春の代替は効かないだろう。


僕はこの文章で「犏柀諭吉に倣い矩塟での察面授業を埩掻させよ」ず蚀いたいのではない。ただただ、䞊野地矩隊も東日本倧震灜も䞊回るほどの苊境にため息を぀き、為す術のなさに歯がゆさを募らせるばかりなのである。


3幎前に東京を離れ秘境・怎葉村に暮らす身ずしおは、あの頃の東京時代があったからこそ今があるずいう意識をもち぀぀も、この時代に郜䌚で暮らすずいうこずの意矩にも疑いの目を向けざるを埗ない。キャンパスにも通えないのに、䌚瀟でも集たれないのに、垰りがけの䞀杯も味わえないのに、郜䌚に䜏む䟡倀がどれほどあるのだろうか。


本棚の『犏翁自䌝』は䜕も教えおくれない。あるのは、受動的な教唆ではなく自発的な独孊のみなのだ。

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