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  • 執筆者の写真小宮山剛

2019年2月 椎葉

 2月にも、椎葉に一度訪れている。4月から住みはじめることになるであろう、住居の内覧をお願いしたのだ。僕はガス会社時代に人様のお家一軒一軒にお邪魔する仕事をしていたので、お家のことにはちょっとうるさいのだ。


 もはや3度目となり行きなれた感覚もある福岡~椎葉間の道。熊本の御船ではなく九州道が延伸した先にある山都のインターまで高速を使うあたりなど、すっかり椎葉に行きなれたものである。


 椎葉の皆さんとお会いするのは面接のとき以来で、お会いすると改めて椎葉に住むのだ、椎葉で働くのだということが再認識される。念のため申し上げておくと僕は、2018年12月に受けた椎葉村地域おこし協力隊の面接において合格の通知をいただいている。これは本当に幸いなことであった。


 さて椎葉の住宅はいかなるや・・・。『しゃぼん玉』でスマさんが住んでいたような豪邸ではあるまいとはわかっているが、一方でその当時僕が住んでいたウサギ小屋以下の凄惨なる狭さの住居ではないだろうとも予想していた。東京・池尻大橋の僕の住居は、ベッドなど到底入らないくらいの狭さだったのだ。


 住宅のことはさておき(おくんかい!)、僕がこの椎葉訪問で撮った写真は住居内の写真が5,000枚くらいと(僕はお家のことにはちょっとうるさいのだ)、その住居がある場所からの景色だった。けっきょくその日見学した住居に住むことはなかったから、いま僕が住まわせていただいている住居の様子なんかは後日ご紹介できればと思う。ひとつだけ言えることは、あの東京の世田谷区の凄惨なる新築アパートメントよりも快適でホッとしているということである。害虫を食べてくれる蜘蛛殿が室内のあらゆるコーナーに巣をはってくれているため、心なしか椎葉なのに虫も少ない気がする。蜘蛛殿、ありがとう。


 ところでこれが、2019年の2月に見学した住居からの眺めである。


8月11日の椎葉村花火大会ではここからの眺めがいいらしい

 今年(2019年)の8月11日には椎葉村で花火大会があり、なんとこの住居からは花火がよく見えるとのことである。というかよく考えれば、けっこういろんなところから花火がよく見えるようだ。


 ・・・なんとも豪勢な話ではないか。花火大会といえば蟻の巣をつついたように電車から浴衣をこれみよがしに着た美女が飛び出し、それを狙う輩が右往左往にねじ繰りまわりながら歩くものだから大渋滞が起こり、きっとそのなかで5,100件ほどは窃盗や乱痴気騒ぎが起きているであろう人のだるまが生まれ、だるまがだるまを生みそれはひとつの大きな波のうねりとなり、なんてことを考えているうちに終わっちまったよ花火、というものだったじゃないか。


 隅田川はウォータールーの戦場のごとくあり、遠く千葉の先っぽのほうの花火大会までいったところで、それはまるでテルモピュライの戦いのごとき厚いスパルタ兵達を押しのけなければ花火の残滓さえ拝むことができない屈辱の場ではなかったか。


家から見えるだと!?


花火大会が!?


 僕が隅田川花火大会の日、愛しのガールフレンドと見に行こうと何度「東京スカイツリー隅田川花火大会特別鑑賞チケット」に応募したことか。そして何度抽選にはずれ「ま、いいやガールフレンドいないし」と強がったことか。あなたにはわかるまい。


 あの大濠公園の花火大会で仲間と待ち合わせをしていたが、携帯の電波が通じずに一人でいるところを薄い交流のあった女子校の麗しき女子数人と出くわしてしまい「何してるの、一人で?」と言われたとき、私はまるでCIAから詰問されるレッド・スパローのごとき1/3の純情な感情であったということを、あなたには想像できるまい。


 花火大会とはかくあるべきものではないのか!!


 剛にはわからぬ。剛には浴衣を着たガールフレンドがおらぬ。剛には愛すべき友こそあれ、花火大会のときに手をつないで「わたあめ、あ~ん、うっぅふぅ~、口についちゃったわぁぁぁい」などと戯れる浴衣美女はおらぬ。もふもふとした浴衣の狭・・・いやわたあめの向こうに潜む可憐な笑顔を拝むことはないのだ。大勢の仲間たちと共に花火を拝んだ後「同じ田園都市線だね」ということで歩く方向が一緒で「ほんとは、二人で観たかったね」と言われることなどないのだ。


 本題はなんだっけ?


 まぁ、僕の哀しい話はおいておいて(おくんかい!2nd)、2月当時の僕のスペシャルショットを紹介してこの話を締めくくるとしよう。7月21日の今日は図書館司書の試験があったので、僕はなんといっても寝不足なのだ。



2019年2月の僕

 ご覧いただけるだろうか。「何が浴衣美女だ」である。


 まんまると太った顔にたくわえた髭がうっとうしい。はちきれんばかりのシャツに潜んだ、いや潜み切れていないわがままボデーは〇4kgである。背後にのぞく「魔王」の字がまさにすべてを物語っているといえよう。恐ろしい限りである。


 それでもシャツだけは伊勢丹のオーダーメイド(いただきもの)であり、ジャケツもまぁまぁいいものを着ている。なかなか見上げた好男子である。


 嘘です。こんなのでごめんなさい。



博多名物「ごめ~ん」

・・・

・・・


 そんな私も椎葉に住みはじめて3カ月が過ぎた。ジャン・バルジャンのごとく改心し神に祈りを捧げた結果(Cf. Les Miserables)、私はかくのごとき好青年になったのである。



2019年6月の僕

 東京でいかに無理をしていたかがわかる(嘘つけ)、素直で堅実そうないい子である。食べちゃいたいくらいである。


 ・・・とまぁこんな風に(どんな風に?)、椎葉での暮らしは人を変えてくれる。かといって東京での僕も東京での僕として東京での僕的な良さがあったわけで、それはもう与党VS野党といった政治的闘争とは大きく意を異にする、柔らかで相対的かつ包含的な関係性なのである。


 すべてが僕であり、すべてが僕ではない。このことを忘れずに、また今日から生きていこうと思う。

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