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  • 執筆者の写真小宮山剛

椎葉村図書館「ぶん文Bun」のこだわりについて書き連ねていたらいつの間にかオープンしちまった件

「椎葉村図書館『ぶん文Bun』は独自の分類方式を採用しており、NDCによらないディスプレイを実現しています」


この説明に対する「ちょっとよくわからない」という顔を、僕は何度見てきただろう。きっと、サンドウィッチマンの伊達みきおさんよりも多く見てきただろう。それがどれくらいの回数なのかと問われると僕にもちょっとよくわからないし、そんなことは、わからなくてもいいと思う。


必要なのは、NDC(Nippon Decimal Classification、日本十進分類法)の何が優れていて、何が優れていないかをはっきりさせるということと、ではなぜ椎葉村が「NDCによらないディスプレイ」にこだわっているのかを明確にすることだろう。つまり、そうしたことをぶん文Bunとして表明する、ある種のステートメントが必要とされているわけである。


上記のようなことを意図して、僕はぶん文Bunにある書架のひとつである「椎葉の風」についてブログを書き始めた。それは次の「日本人の心」、そして次・・・というように連鎖していくはずだったのだが、僕は、その方法はあまり上手なやり方ではないと悟ることになる。


・・・その悟りはあまりにも早く訪れた。だって、全部で23あるぶん文Bunの分類のうち、わずか2テーマしか説明しないうちに悟ってしまったのだから。


なぜそのようにひとつひとつのテーマを取り上げることが上手くないのかというと、そこには本来存在しているはずの、テーマとテーマとの有機的なつながりが描かれていないからだ。ひとつの記事という独立したパーツをいくらリンクして貼り合わせたところで、そこではテーマからテーマへと連鎖する知的好奇心の架橋が損なわれてしまっているのだ。デジタルに分立した情報だけでは、ぶん文Bunの場にある書架たちが構築する、ひとつの有機世界の構造的・立体的感動を表現することはできなかった。


だからと言って「椎葉村図書館『ぶん文Bun』は独自の分類方式を採用しており、NDCによらないディスプレイを実現しています。この構造的・立体的感動は現地でしか体現できませんので、直接お越しになってお確かめください」としてしまうのは早計だし、寂しいものである。実際のところ僕たちが一冊一冊の「本」という現物を扱い、それらを「棚」というマテリアリスティックな構造物に詰め込み、さらにはその棚同士が隣り合うことでうまれるシナプス連鎖をリアルな「場」で表現しようとしているのは、まさにリアルのリアルによるリアルのためのストラテジーであるのだけれど、それを補足的にデジタルの場で表現することはきっと必要だし、必要と言う以上に、リアルの場を加速度的に美しく見せるのはデジタルの力だとも信じている。


 

今日は「えっと、何の話だっけ?」はナシである。ちょっとだけサンドウィッチマンが出てきたけれど、これ以降は陣内智則もアンジャッシュもアンタッチャブルも出てきてはいけない。


2019年の8月に僕が「ふみの森もてぎ」と「ゆすはら雲の上の図書館」を訪れて以来「NDCではなく独自の分類に従い図書をディスプレイしたい」と願った理由。それについてだけ、徹底的に語りたいと思う。



 

全国一律、同じ分類に則る図書館は本当に豊かなのか


Googleに「NDC」と打ち込むと最初に表示される岡山県立図書館のウェブページが非常にわかりやすいものであると思う。「0~9」のアラビヤ数字を用いた十進法で構築される階層的構造で、世界の森羅万象とそれにかかわる図書分類を表そうというのがNDCである。


デューイ十進分類法を日本に導入するかたちで森清が構築したこの分類法は、ほぼ一世紀にわたり日本の図書館等にて採用され続けてきた。とくに大規模な図書館ではこれに準ずることが効率的かつ系統的であるし、日本のほとんどの図書館では十進分類法が採用されてきた。図書館のように何十万冊も本があるところでは、図書を系統だてて管理することがとても重要なのだ。


ところで利用者としての僕と図書館との繋がりが加速度的に濃くなったのは、慶應義塾大学に在籍していたころだ。日吉・三田のメディアセンターに通い、いくつもの本を借りレポートや論文を書きなぐった。三田メディアセンターだけでも300万冊近い図書があるのだから、図書の系統だった管理のためにNDCを採用し、配架もNDCに従い実施されていた。英文学専攻だった僕は93~の棚の間をうろつき、逡巡を続けたものである。


・・・しかしながら、である。NDCは大学図書館のように学問の場で採用される分にはベターベストであるのだけれど、如何せん「楽しい」ものではない。よく「独自分類です!」と言って「NDCの分類名称をかえました!」という図書館があるのだけれど「文学」を「おはなし」にしたり「社会科学」を「社会のこと」にしたりしたところで、本質的な変更ではない。それは、NDCの解釈をある観点(主観、と言い切るには弱すぎる何らかの意思めいた考え…?)のことばに置き換えただけにすぎないし、結局のところそれぞれの分類は分立したまま立ち尽くすのみなのだ。


僕は上記の指摘に増して、NDCの「楽しくなさ」に介在するのは単なるキャッチ性の問題ではなく、所在記号としてNDCが採用されるときの「繋がりの無さ」にあると考えている。


無表情に「畜産」と書かれた棚に入っている牛の牧畜の本と、「動物」の棚に入る牛は、6類の棚と4類の棚とにそれぞれ分散されてしまい「牛のグラデーション」を辿ることなく結びつくことがない。


 

より詳しく見てみよう。

たとえばここに『棚田の民:中国貴州省の苗族』という本がある。

日本カメラ社が出版するこの本はNDC分類「748」、つまり「写真集」に分類され、もしこれに対していかにもNDC的に従うとするならば、『棚田の民:中国貴州省の苗族』はあくまで写真集の棚に収まる資料となってしまう。


もちろん、OPAC検索で「たなだ の たみ」と検索すればよい。あなたはこの本を求め、この本を読む・借りるために図書館へ来たのだから。あるいはあなたが「美しい写真が見たい」と思って写真集の棚をふらふらしていたら、たまたまこの本に出会うことができるだろう。悪くない。それが図書館というものだし、NDCというものだ。ものごとはなるようにしかできていないのだ。


・・・だがしかし、すこし待ってほしいのだが、上記の『棚田の民:中国貴州省の苗族』に出会うまでのルート想定には「そこがどんな図書館か」「その図書館はどのような場所にあるか」「その場所にはどんな特色があるのか」というコンテクストが含まれていない。図書館と地域をむすぶ協議会チーフディレクターである太田剛さんのお言葉を拝借するとするならば、その資料が(あるいは、その図書館が)包含されている「モード」を踏まえていないのだ。


 

「モードを踏まえる」とは?

そんな声が聞こえてきそうである。僕にだってちょっとよくわからない(いやそれじゃまずい)。が、そこにこそ「全国一律、同じ分類に則る図書館は豊かなのか」という問いへの答えが見え隠れしているように考えている。NDCは非常に優れた階層構造をもつ分類法である。学問的でシステマティックでスキがなく、人間にたとえれば、大手財閥系の商社に勤務する海外駐在員で、妻一人子ども二人、慶應義塾経済学部卒でシンガポール三田会に所属、座右の書は稲森和夫、好きな食べ物は妻の作るオムライス、というような奴だろう。


しかし、国立国会図書館も、東京都立中央図書館も、浦安市中央図書館も、福岡市中央図書館も、高千穂町立図書館も、そして我が椎葉村図書館「ぶん文Bun」も、同じ分類に則ることが正解なのだろうか?誰しもが慶應経済学部にいかなきゃいけないの?文学部でもいいじゃん?だって一番綺麗な女の子が多いの(英米文学専攻)じゃん?目指すじゃん?卒業したら地方ガス会社いくじゃん?経済学部の奴らはメガバンクとか総合商社とか大手メーカーとかいかにもNDC的な進路に決めていたけれど、こっちはこっちで自分の道があるじゃん?ガス会社やめるじゃん?新聞記者になるじゃん?それでも飽き足らず東京離れたくなるじゃん?椎葉村目指すじゃん。クリエイティブ司書という職と出会うじゃん。これがきっと、正解じゃん?


・・・多少私情に乗っ取られ熱くなってしまったが、ここで整理しておきたいのはこういうことである。

NDCは非常に便利で学問的で優秀であるが、図書館の規模や自治体の特色によっては、NDCに則るばかりが最善ではない。


このことを踏まえながら、椎葉村のモードについて考えたい。その連なりで、椎葉村のモードに相応しい分類のテーマとそのテーマたちの連なりを一望したい。


きっと「NDCではないディスプレイ」というと「別置」・「特集」棚を想像する方が多いかもしれない。図書館の入口付近に設置されたり、壁際に設置されているアレである。図書館職員さんが毎月(毎週?)心根を尽くして考え、その図書館の「考え」なり「意志」なりを表面せんとする勢いで組んでいるアレである。


僕はこの「別置」とか「特集」ということばに違和感を感じている。一番司書の腕が試されるこの棚をどうしてあんな小規模なものに留めておくのか。どうして全部の棚を、別置・特集のように「その図書館の意志を表現する」ために使わないのか。


もちろん、300万冊も本がある慶應義塾大学の三田メディアセンターで「全部別置です☆」なんてことを言いだしたらシバかれるだろう。どこに何があるのかわかったもんじゃない。県立図書館レベル、市立図書館、首都圏~市街地の町村図書館でも同じことが言えるだろう。やはりそこは、NDCのように系統だてられたルールが必要なのだと思う。


 

しかしここは椎葉村である。

ぶん文Bunの蔵書能力は約3万冊を予定している。

 

・・・ここで、である。


何やら文章が核心に(ようやく)入りそうなところで、事態は急変する。「時の断絶」がここに入るわけである。私がこの記事を書き進めていたのは、2020年の6月のことだった。椎葉村図書館ぶん文Bunの開館準備に意気揚々と取り組んでいるところだったし、この記事だって「新しい図書館がオープンする前にアップしちゃうぞ☆ブンブン🐝」的なノリで書いていた。


しかし現実は非情であった。


2020年7月、東京での新型コロナウィルス感染者が再増した。先のスペイン風邪を彷彿とさせる「第二波」である。地震だって、Secondary Waveのほうが強いんだ。オラ知ってるだ。


そして、図書館システムを構築する企業さんや図書の装備(図書を機械に認識させるバーコードを貼ったり、傷つきにくくなる保護をすること)などを手掛けてくださった企業さんは、みな東京にあるのだ。つまり、開館準備に来るはずだった人工が激減した。想像してほしい。


10人くらいでやるはずだった業務を、3人でやるのです。


開館前のぶん文Bunは戦場と化した。コハチローはほとんどスズメバチだった(本当は日本みつばちちゃん)。終わらぬ。本のディスプレイは終わらぬ、棚への設置状況を機械に読み込ませる作業が終わらぬ、飾り付けが終わらぬ、各種案内板の作成が終わらぬ、Twitterもできぬ、ご飯はない、洗濯はできない、着る服がない、パンツだけはある、じゃあパンツで出勤するのか、そういうわけにもいかない、そして僕はパンツを・・・。


最後のパンツのくだりはよく分からないけれど、畢竟それは大変な有様だった。しかしながらこのリモートワーク全盛の時なので、ウェブ会議を駆使したり(Katerieが全館Wi-fi完備でよかった!)しながら、なんとか乗り切ることができた。と、思う。


したがって、こういうわけで、僕はこの記事をオープン前にアップすることができなかったし、本棚の説明も全然書いていない。なんなら「Katerie(かてりえ)オープン!」という記事を先に書いちゃったくらいである。


本当に申し訳ないと思う。あとはもう、新しくできたKaterieのホームページをご覧いただければと思う。


・・・というわけにもいかないと思うので、

今日はこれより下に、ぶん文Bunの利用案内を貼っておこうと思う。ぶん文Bunのオリジナルキャラであるコハチローが日本みつばちだということで、開館から8月いっぱいまでの間「8月つく日」の午後2時22分(ぶんぶんぶん)に開催するぶん文Bunツアーなどで配布している資料である。


余白が少ない、詰め詰めの資料である。未完成でもある。というか、こういうのはちゃんとデザイナーの方にデザインしてもらわなくてはならない。当然だ。でもいいんだ。よくないか。いいんだ。これは僕のホームページだもの。貼っちゃうよ。好き勝手にやるんだ。


だいたいのところ、この資料にぶん文Bunの各棚(23テーマにわけてある)についてかいてあるもん。いいだもん。そうそう、これを見せたかったんだもん!


ということで、ひとつぶん文Bunを知っていただくのに良い資料かと思います。開館時間やお休みの日とかいう基本的なルールも掲載してあるので、遠くからお越しの方はこれを事前にご覧いただくといいかもしれません。そうだそうだ、最初からこういうことを伝えたかったんだ。うんうん。


そんなわけで、ぶん文Bunの資料を下記の通りご共有致します。ご覧くださいませ!


ぶん文Bun利用案内表紙

ぶん文Bunとは?・・・コハチローもぶんぶん!

ぶん文Bunの基本ルールです

思いっきし椎葉オリジナルの棚グループ。郷土資料を入口目の前に配置し、郷土愛の強さを表現しました。カラーは「椎葉グリーン!」

実用書が多いグループ。ただ「食と農ってつながってるよね」とか、「働くこととボランティア(カセギとツトメ))」って実は近いよねとか、そんな「実体験・実生活により近い」テーマの振り分けを行っています。カラーは「平家レッド」!


コハチローが「ごほん」をおすすめしてくれる「おすすめ番」を含むグループ。雑誌は滝のごとく見えるよう吊り下げ、全集は壁のように職員の作業スペースを取り囲んでいます。カラーは、大イチョウイエロー!


コハチローのささやきもチェックしてね。↓↓↓

ぶんぶん しちゃうぜ


より重厚な、いわゆる「社会科学」「人文科学」「自然科学」のグループ。いずれの棚も、眺めるだけで時代や思想、発展の経緯・歴史がわかるようレイアウトされています。「ほぉ~」と思ったら、美しい表紙たちに惹かれて中身を覗きたくなるはず・・・。カラーは、尾前ブルー!


文学が多いゾーン。邦文学も海外文学も古典も「眺めるだけで文学史がわかる」とか「意外な発見がある」ことに重きを置いています。


「造本の華」については、とあるデザイナーの方にセレクトしていただいた凝りに凝った本たちを陳列しています。すげぇですよ。


こちらのカラーはヒノキブラウン!


そして、これらのテーマをもつ棚がどうなっているのか、素人が手づくりで(ぱわぽ)ぶん文Bunのマップとしてつくると・・・

ぶん文Bunの簡易マップ

こうなります。


テーマが隣り合う棚については、両方のテーマについて通じる本をディスプレイしています…。で、どんなディスプレイをしているの?という点については、小宮山がインスタグラム#図書館の絶景 というタグに連ねてつぶやいています。ぜひそちらもチェックしていただきたいですし、今後このブログでも図書館の絶景特集をやりますです!


ぶん文Bunの本棚は「面」ではなく「立体」です。どういうこと?そういうことです。


まるでジャングルジムのような立体構造だからこそ、複層的・複合的・立体的なつながりのなかで本をディスプレイできるんですね。ほぉー。(また、写真をアップします)

 

長くなったな・・・と思い文字数を確認したら、たった6,000字程度でした。でも画像が多いので、読み込むの大変だろうな・・・。とくにクレームは受け付けません。


・・・まあそんなこんなで、小宮山が「クリエイティブ司書」としてプロデュースに携わった椎葉村交流拠点施設Katerie(かてりえ)/椎葉村図書館「ぶん文Bun」が無事(?)オープンしました!このブログのように長く長く続いていくことを願い、百年先もずっと先も椎葉が元気である未来に貢献したいと思います!


日本三大秘境のひとつと呼ばれる地椎葉に完成した交流拠点施設/図書館。なかなか、全国に誇れるものができたと思います。詳しくはKaterieのホームページをご覧ください。


また、椎葉へ観光でお越しの方についても、Katerie/ぶん文Bunは利用を歓迎しております。たとえば、図書館の利用者カード(本を借りられる、記念になる!)は世界中誰でもつくっていただくことができます。


ぶん文Bunのカード、かわいいよ。

・・・椎葉へ観光の際はぜひ、仙人の棚田や大久保のヒノキ、八村杉、尾前ブルーを楽しんでくださいね。焼畑文化が根づく椎葉でとれたお蕎麦は美味しいし、ヤマメも豆腐も・・・


・・・どこにでもある?いえいえ、椎葉はONLY ONE Shiibaなのです。


 

さぁ、椎葉の未来がここからはじまる。(Katerieのフレーズぱくり)


「新しいって、懐かしい」。そんな風に、いつかの思い出を新しく生む場所でありたいと思っています。椎葉へきて、その意味を感じてみてくださいね。


もちろん、コロナコロナと言われるこのご時世に慌てて来なくても大丈夫。Katerie/ぶん文Bunはいつでもお待ちしております。いつでも(開館時間は)灯りをつけて待っています。


深夜まで作業していたらちょうど2:22(ぶんぶんぶん)だったので点灯式やってみたの図

さぁ、どうぞゆっくり、お気をつけてお越しくださいませ。


ぶん文Bunはこちらにあります。コハチローもまってるよ

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