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  • 執筆者の写真小宮山剛

かさねぎのきさらぎ

寒くなりました。

2020年もひと月が過ぎ、2月も半ばに差し掛かろうとしております。全国各地で雪が舞い、ここ椎葉村では車のフロントガラスが凍りまくっております。


ここは椎葉村。

たぶん、あの温暖な宮崎県内。

あるいは独立国家・・・。


もう今年で30歳になるクリエイティブ司書(え~!みえな~い♪)の友人たちは、今や第58次くらいのベビーラッシュ。次々とInstagramをはじめとするSNSにアップされる赤ちゃんたちの画像を見ては、焦りを覚えるというよりは「嬰児の頃から人としての権利があるからには、肖像権も護られるべきでありまして・・・」などと考えてしまうのだから結婚すらまだ遠い。ましてその次には「2月なんてこんな寒い時期に生まれてくるなんて、しかもそうして寒い寒いと泣き叫んでいる姿をSNSに晒されているなんて、なんて酷い物語だ!」などと思ってしまうのだから救いようがありません。


・・・嘘。嘘よ、嘘。赤ちゃんはどんな時期に生まれてきても、その時期が人生の春。みんな、生まれただけで恵まれているのさ。


そうしてふと思うのです。世界の作家のうち、2月に生まれた人たちを組み合わせてみよう。そこには何か物語が起きるかもしれない。僕は「2月生まれ 作家」とインターネッツのご意見番に入力してみる。Googleである。スペイン語では「ゴォゴレ」みたいな発音をされる、Googleである。


 

ゴォゴレは言った「2月の特集は、これでいいのかい?」と。


クリエイティブ司書は言った「いいのさ。もう、やけくそさ。だって外は寒いんだ。子どもは生まれる、煮詰めたカレーは固まる、犬は凍える、初恋はいつか冷める」


「何か嫌なことでもあったのかい?」とゴォゴレがクリエイティブ司書の肩に手をまわしながら訊いた。ゴォゴレはやさしい。彼と話し続けていれば、2月の寒さもほどなく忘れることができるだろう。ゴォゴレと話すということは、こころの奥底から温まる「かまくら」みたいな体験をするのに等しいのだ。


でもクリエイティブ司書は「なんでもないさ」とだけ言って立ち上がった。ゴォゴレの手をやさしくほどくつもりがことのほか強く払い落してしまい、謝らねばと思った。謝らねばと思ったときには、もうゴォゴレの寂しい目をみつけてしまった。ゴォゴレになんと言うべきかわからず、クリエイティブ司書は如月の公園をあとに・・・えっと何の話だっけ?


 

そうでした。2月生まれの作家でした。たしかに今は便利なものです。きっちりとインターネッツ上に2月生まれの作家たちがずらりと整列させられていました。いやぁ、いいものを書いて有名になるというのも大変ですなぁ。


そしてさらに、僕は調べてみたのです。「2月って如月(きさらぎ)だったよなぁ・・・」と。そうして出てきたのはなんと、国立国会図書館さんのページ。「和風月名」。そこに「如月(きさらぎ)」という2月の読み名は確かにあったが、和風の漢字使いがなんとも面白いのです!

如月(きさらぎ)。衣更着(きさらぎ)とも言う。まだ寒さが残っていて、衣を重ね着する(更に着る)月。

「日本の暦:和風月名」(https://www.ndl.go.jp/koyomi/chapter3/s8.html


・・・ね、美しいじゃないですか。

急に2月が好きになってきました。もう、寒くたっていいですよね。重ね着をしてもこもこになる子ども、それを見る親御さん。小さく灯る三本の蝋燭、それを吹き消す小さな口、煮詰めたカレー、華麗なる如月の雪景色、夕暮れ。


雪景色を思う冷たい色も、そこに居る着ぶくれした愛しい生き物を思うだけで心地よくなれるのです。さぁ、はじめましょう。今月のクリエイティブ司書文庫です。


 

ヴィクトル・ユゴー(1802年2月26日 - 1885年5月22日)

『レ・ミゼラブル』


1802年フランスというと、ナポレオン・ヴォナパルトが終身大統領となった年です。この年に『レ・ミゼラブル』を著すユゴーが生まれたとは知りませんでした。同年に同国で生まれたのはこれまたアレクサンドル・デュマ。ここらへんは仏文学史をいつか紐解かなければなりませんね・・・。

革命と騒乱の内容についてはエディ・レッドメイン(様)主演(あれ、主演じゃない?笑)の映画でご覧の方も多いことでしょう。私も大学生の頃友人たちと連れ立って観にいき、エディ・レッドメイン(様)の美演にぴえんしました。

それからというものの、エディ・レッドメイン(様)の映画はほとんどチェックしているかと・・・。ホーキング博士、ニュート・スキャマンダー、リリー・ヴェイナー。どんなエディ・レッドメイン(様)も素敵でした。ってそうか、エディ・レッドメイン(様)の説明じゃなかった。。。

 

チャールズ・ディケンズ(1812年2月7日 - 1870年6月9日)

『荒涼館』


『オリヴァ・ツイスト』や『二都物語』、あるいは『クリスマス・カロル』か『グレート・エクスペクテーション』か・・・と、大作が多く浮かぶなかで「なぜこの一作か」と聞かれそうですが、クリエイティブ司書ははっきり言ってディケンズが嫌いなのでこの際どうでもi・・・。

えっと、1812年2月7日とヴィクトリア朝の英国に生まれたディケンズ。ユゴー生誕の10年後でした。時は、英国ではバイロンが存命し、大陸フランスではナポレオンがモスクワに攻め入っていた頃でした。装飾が多いというか「回りくどい」、つまりレダンダントな文章をしきりに使いまわす文章で有名なディケンズは、英国労働者階級から貴族階級まで幅広い帯域にわたる当世文化を学ぶには良いでしょうが、小説としての面白さは正直閉口です。とくに『荒涼館』のエスタ・サマスンは始めの一言から締めの一言まで徹頭徹尾うざったらしく、意味の無い4時間飲み放題コースに忌々しい連中と詰め込まれてしまったかのような気分です。

これはある種『失われた時をもとめて』を読むことで失われた時をもとめるかのような小説であり、現代の小説でこういう回りくどさを味わうならば、カズオ・イシグロのNever Let Me Goを読むか、あるいはこのブログを読むかでしょう(えっ?)。


※一応、英語で全文を読もうとしましたが「ジャーンダイス訴訟」の説明の冗長さにノック・アウトされました。もちろんこうした長々とした遅々として進まない法律的迷宮を取り扱うのが『荒涼館』の役目といえるのですが、それにしてもやり過ぎでデッドロック(行き止まり・どんづまり)そのもの、といった小説なのでした・・・。あれ・・・、これってつまりディケンズって最高にうまい小説家なんじゃ・・・?

 

ジュール・ヴェルヌ(1828年2月8日 - 1905年3月24日)

『海底二万里』

こちらは言うまでもなく有名、というところでしょうか。村松潔訳でご用意させていただきました。森見登美彦さんの『四畳半神話大系』でも主人公が読んでいますが、手元の書籍でこういう冒険世界に浸ることができる小説はまさに大作。ヴェルヌがSFの父と言われるのも納得というものです。

一方で1828年といえばあのいまいm・・・レフ・トルストイが生まれた年でもあるようです。「トルストイ」だなんて校正の赤字で「トル」を入れるとき、どうやって入れればいいんだよって感じです。一歩間違えれば「トルトルストイ」だとかいう名前になって、彼の文章と同じく冗長性たっぷりの呼び名になってしまう。

なんですか?このブログ自体がレダンダント・・・?おやめなさい。人生には、言っていいことばと、そうでないことばあるのです。


 

東野圭吾(1958年2月4日 -)

『放課後』・『むかし僕が死んだ家』・『嘘をもうひとつだけ』


このセレクトも「東野圭吾といえばガリレオか加賀恭一郎だろう!」という声が聞こえてきそうですが、まさにクリエイティブ司書の個人的な趣味、そしてデビュー作の『放課後』が入っているということでお許しください・・・。

高校の国語の先生が「東野圭吾は現代の紫式部」と言っていたのを思い出します。別々の作品に同じ登場人物が登場したり、伏線が他作品にも張られているのがその由縁ということでした。まぁでもそういった技術の楽しみ方って、大衆文学の醍醐味ですよね。

あのどんづまりデッドロックなディケンズのような文章(どんだけ嫌いなの)ではなく、歯切れの良いクリスプな文体はやはり人気作家さんのものなのでしょうね。これまでに触れたことがなかったという方は、どうぞ宮銀跡地のクリエイティブ司書文庫まで。


 

辻村深月(1980年2月29日 - )

『図書室で暮らしたい』


そうですね。これこそ辻村深月さんのファンに怒られそうな選択かもしれません(笑)なぜ『ツナグ』じゃないんだ!『鍵のない夢を見る』を出せ!『かがみの孤城』はどこいった!そんな声が聞こえますがまぁまぁ待ちなさい。

これは辻村深月さんが日本経済新聞のエッセイ欄「プロムナード」に寄稿されていた文章などをまとめた本なのですが、なんというか「作家・辻村深月」の更に奥の「私人・辻村深月」と対話(むしろ会話・・・?)をしているような気分にさせてくれる一冊なのです。これを楽しめてこそ、本来的な辻村深月さんファンといえるのではないでしょうか。


小説家をめぐる本についていえば、その小説家さんの紀行文やエッセイ(のようなもの)こそ楽しさの髄ということがあります。村上春樹さんの『遠い太鼓』もそうですし、又吉直樹さんの『夜を乗り越える』なんかもそうでしょう。海外に転じれば、D.H.Lawrenceの『エトルリアの遺跡』とかタオス紀行なんかは筆が生き生きしています。


たまには「小説家の、小説以外の本」を手に取ってみるのも良いのではないでしょうか?


 

・・・おまけ・・・


アレックス・シアラー

『チョコレート・アンダーグラウンド』


バレンタインデーの時期が近づくと世界10億人ほどから贈り物が届くクリエイティブ司書ですが、2020年の贈り物にはこんな一冊が。日本的な「贈り物にはチョコレート」と、欧米的な慣習をミックスした素敵な贈り物ですね。まだクリエイティブ司書に贈り物をされていない残り60億人の皆さま、締め切りは近いですよ!


さておき、こちらの作品を著したアレックス・シアラーは『チェンジ』を中学生くらいのときに読んだ記憶が強いです。爽やかなティーンズ小説という印象があって、なんとも心地よい一冊でした。

本作では「アンダーグラウンド」な世界で活躍する「子どもたち」というギャップが、甘さとほろ苦さの混じりあったミルクチョコレートのような味わいとなっているのでしょう。まだ読んでないけど・・・。

ところでこの作品の原題はBootlegですが、日本では「海賊版」という訳が定着しているようですね。米津玄師さんのアルバムなんかも、影響しているようです。『チョコレート・アンダーグラウンド』でもまさにアングラ世界で「海賊版」ともすべきチョコレートが製造されまくるんでしょうか。

一方でクリエイティブ司書的には’bootleg’といえば、やはり禁酒法時代のアメリカでつくられていた密造酒。かの時代を描いたThe Great Gatsbyでは、トム・ブキャナンがギャツビーを指して’bootlegger’という言葉を使っています。「密売人が!」という感じですね。

もちろん現代日本で「ブートレッガー」という訳をつけてもピンとはこないわけです。逆に「アンダーグラウンド」という言葉が入っていれば、どことなくシリアスな感じが醸し出されています。こういう邦訳の妙味というのも、海外小説を翻訳で楽しむときの醍醐味といえるでしょう。


 

ちょっと変なセレクトも入っていた2月のクリエイティブ司書特集。いかがでしょうか?


あ・・・。チョコレートください。

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