宮崎本大賞『木曜日にはココアを』との出会いが木曜日の僕に考えさせること。
- 小宮山剛
- 2020年6月25日
- 読了時間: 3分
更新日:2021年2月25日
宮崎本大賞なるものが始まったそうで、第一回大賞の『木曜日にはココアを』(青山美智子さん)を読みました。
もしこの賞がなかったら、この作品に触れられる可能性はかぎりなく低くなっていたと思うんです。寡聞にして青山美智子さんを存じ上げなかったし、最近の小説をすべて読むわけにもいかないので、やはり「~賞受賞」作品を優先してしまうのは致し方ないところです。
そしていざ手にとってみると、ブクログに書いた感想のとおりたいへん面白い。たまたま寄った書店でたまたま見かけた賞をとっている小説が面白い。
しかも『木曜日にはココアを』で読む内容が、ちょくちょくいまの自分の生活に関係してくる。たとえば「サムシングブルー」の逸話とか…。
これが、本のセレンディピティというものなのかもしれない、と考えています。
偶然の出会いを必然に。それを三次元で表現できるのが、本と本棚だと思うわけです。
(以上、Facebook投稿の引用)
(以下、ブログオリジナル文章)
ただ自分の見たいところだけを見るのでは出会うことのない作家やジャンル、時代に新しく出会うこと。それはほかならぬ、読み手ないしその人にふれあう人の世界を広げることです。
たとえばインターネットで情報を探すならば、検索ワードに限定されてしまいがちなこうした出会い。サジェスト機能や文字入力補助がふいにもたらしてくれる奇蹟のような出会いが面白いこともありますが、それもまたユーザーの特性によるものなので世界が狭められてしまうことは否めません。
では、図書館で本を探すときはどうだろう。
『木曜日にはココアを』も配架されるであろう日本文学のコーナーがあるとして、作家はだいたい「あいうえお」順に並んでいる。僕は、これではいけないと思う。
夏目漱石が大好きで大好きでしょうがない人は「な」の周りしか見なくなってしまう。何より、全国一律でだいたい同じ配架方法というのが非常によくない。
椎葉の図書館「ぶん文Bun」では、名前という文学の並べ方にもう一軸加え、全国で統一されているといってもいい(というか、それ以外に並べようがない)方法にすこし工夫を加えるつもりだ。
今まさにその作業をやっているのだが、粗詰めの段階ではほぼほぼ出版社別に並べられた(書店と同じだ)小説をいわゆる「椎葉方式」「ぶん文Bun方式」「クリエイティブ司書方式」「コハチロー方式」に組み替えていくのはなかなか骨が折れる。あらかじめ作っておいた配列リストに沿い本を散らせ、集め、積み、崩し、拝み、和む。幸せな時間だ。
幸せな時間だが、もうこんな時間だ。これは仕事の時間であり、ほとんど同時にプライヴェートな時間でもあるということを、何かへの怖れを抱きながら申し添えておきたい。ルンバが、はげしい吸引音をたてながら掃除を続けている。
もう少しやりたいが、家人(親しみを込めて)も待っている。待ちくたびれて待ちくたびれて、帰ったら僕のことをすり鉢で粉々にしてしまうかもしれない。こんな文章を書いていたなんてバレちまったら、ルンバみたいにはげしくけたたましく僕の足元を蹴散らかすのかもしれない。
帰ろう、帰ろう。
久しぶりに文章が書きたくなっちまって、こんなことをした。ルンバが、僕の呼びかけにも応じずひたすらにカーペットを舐めまわしている。彼はきっと、夏の夜の虫の音までも吸ってしまったのだ。
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