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  • 執筆者の写真小宮山剛

特集「夏のある日に」

更新日:2020年3月13日


「クリエイティブ司書文庫」第三弾!

 7月に入り、椎葉村の夜には蜩(ひぐらし)が鳴きはじめました。その憂鬱と扇情とがせめぎあう声が僕に思い起こさせるのは、いつだって「あの夏」である。そして「あの夏」のできごとを語るとき、僕はかならずと言っていいほどにこう語りだすのだ。


「夏のある日に」


 ・・・今回のクリエイティブ司書文庫は「小説の印象=夏」な作品を集めてみました。タイトルに夏ははいっていませんし、夏を舞台にした小説であるとは限りません。しかしどの作品にも共通するのは、強烈な「夏の思い出」、「夏の残滓」そして「もう帰り来ぬ夏」。


 誰しもが一度は少年少女だった。俺たちは天使だった・・・。昨年の夏は今年の夏よりもよかったし、その前はもっとよかった。そして僕が生まれた頃の夏は・・・。あぁ、僕はいつ生まれたんだっけ?


 そんな物悲しくも懐かしく愛おしい思い出につつまれる「夏のある日に」特集、いかがでしょうか?


①『異邦人』

カミュ『異邦人』

 カミュの『異邦人』は、殺人を犯した主人公の「太陽のせい」があまりにも有名ですが、マランゴの描写でていねいにていねいに描かれる太陽は、読者の目にもいつのまにか暴力的に映りはじめるから不思議です。


私は待った。陽の光で、頬が焼けるようだった。眉毛に汗の滴がたまるのを感じた。それはママンを埋葬した日と同じ太陽だった。そのときのように、特に額に痛みを感じ、ありとある血管が、皮膚のしたで、一どきに脈打っていた。

カミュ『異邦人』



②『グレート・ギャツビー』

F. スコット・フィッツジェラルド

 村上春樹が満を持して邦訳したF. スコット・フィッツジェラルドの『グレート・ギャツビー』では、ギャツビーが生涯を賭してのぞんだひとつの「挑戦」の敗北が象徴的です。そして、その象徴的な場面設定は「夏」。しかも、うだるような暑さがうかがえるニューヨークの夏なのです。


「誰か街に行きたいっていう人はいない?」とデイジーはめげずに声を上げた。ギャツビーの目は彼女のほうに漂っていた。「ああ」と彼女は言った。「あなたはとても涼しそうに見える」
 二人の目が合った。ほかの人々の姿は彼らの目には映っていなかった。二人はただじっと互いを見つめ合っていた。やがてデイジーはもぎはなすようにテーブルの上に視線を落とした。
「あなたはいつも涼しげね」と彼女は繰り返した。

F. スコット・フィッツジェラルド『グレート・ギャツビー』


 『グレート・ギャツビー』はフィッツジェラルドの煌びやかな文章が有名ですが、最後の締めくくりも物語の余韻をどこまでも継続させるような力があります。


 だからこそ我々は、前へ前へと進み続けるのだ。流れに立ち向かうボートのように、絶え間なく過去へと押し戻されながらも。

F. スコット・フィッツジェラルド『グレート・ギャツビー』



 ちなみに原文で書くとこんな感じ・・・


So we beat on, boats against the current, borne back ceaselessly into the past.

F. Scott Fitzgerald, The Great Gatsby


というわけで、ギャツビーは英語原書も特集にいれております。


The Great Gatsby

F. Scott Fitzgerald, The Great Gatsby

 そして、芥川賞受賞で世間を賑わせたこちらも「夏のある日に」に加えさせていただきました。


④『火花』

又吉直樹『火花』

 『火花』は夏だけが舞台の小説ではありませんが、なんといっても冒頭の熱海花火大会の描写が印象的です。小説の冒頭がそのイメージを左右してしまいうるということを考えると、僕にとって『火花』は夏の小説なのです。


沿道から夜空を見上げる人達の顔は、赤や青や緑など様々な色に光ったので、彼等を照らす本体が気になり、二度目の爆音が鳴った時、思わず後ろを振り返ると、幻のように鮮やかな花火が夜空一面に咲いて、残滓を煌めかせながら時間をかけて消えた。

又吉直樹『火花』


⑤『思い出のマーニー』

G. G. ロビンソン『思い出のマーニー』

 米林宏昌監督がジブリに在籍していたときに手掛けた最後の映画が『思い出のマーニー』でした。 リトルオーバートンの入り江の描写や、映画にあふれた色使いはまさに夏。アンナがおばさんの家を離れて「一時的に」リトルオーバートンに住むというのも、つかの間の夏の湖畔生活のような、刹那的な夏の思い出という情感を際立たせています。


空は桃色、海はすっかりないでいて、葦も、ボートのマストも、みなぴくりとも揺れずに水面に映っていた。潮はますます満ちてきて、湿地の大部分をおおった。上流に運ばれるあいだ、アンナはじっと水中を覗きこんでいた。シー・ラヴェンダーやサムファイアといった海辺の草が水中で揺れているのが見える。やがてボートが最後のカーヴを曲がると、アンナはいつものように体の向きを変えて”湿地の館”のほうを眺めた。

G. G. ロビンソン『思い出のマーニー』


⑥『悲しみよこんにちは』

サガン『悲しみよこんにちは』

 『異邦人』に続き、フランス文学のキャノン(文学的正統)からはこちらの作品を。サガンの文章は一文だけでも殺傷能力十分で、夏のコート・ダジュールをめぐる物語の素晴らしさがなかったとしても、僕がこの小説の出だしだけでノック・アウトされてしまうことに変わりはないでしょう。


「ものうさと甘さが胸から離れないこの見知らぬ感情に、悲しみという重々しくも美しい名前をつけるのを、わたしはためらう。」

サガン『悲しみよこんにちは』


 冒頭、出だしのわずか後にも畳みかけるように名文が続きます。


「あの夏、わたしは十七歳で、文句なく幸せだった」

サガン『悲しみよこんにちは』


 いかがでしょうか。もうこの引用をみただけで、読むしかないのではないでしょうか。ちなみにサガンを読んだ後はぜひ、日本映画の『無伴奏』も観ていただきたいですね。斎藤工や成海璃子、そして池松壮亮の演技が光る名作なのですが、サガンを読んだあとの、そしてパッヘルベルの『カノン』を聴いたあとの『無伴奏』は至高です。



映画『無伴奏』オフィシャルページ(http://mubanso.com/)から

⑦『風の歌を聴け』

村上春樹『風の歌を聴け』

 サガン以上に、そしてどんな作家以上に一文の破壊力がすごい(個人の見解です)村上春樹のデビュー作がこちら。彼が30歳の頃にこの作品を書いてしまったのだと思うと、30手前の僕はただもう焦るしかありません。あぁ、僕も神宮球場の芝生で寝っ転がりながらヤクルト戦を観ようかなぁ(くわしくは『職業としての小説家』をご覧ください)なんて思ってしまいます。巨人ファンですけれど。


 『風の歌を聴け』はジェイズ・バーでのやりとりや双子の女の子たちとの会話が破滅的に魅力的なのですが、もう出だしから完全に引き込まれてしまうこと請け合いの一文がこちらです。


「完璧な文章などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね。」

村上春樹『風の歌を聴け』


 この小説は「ひと夏のはなし」であり、 まさに「夏のある日に」と語りだされそうな予感がする作品です。しかし村上春樹の場合はそんな陳腐な言い方はしません。次の引用で村上春樹は『風の歌を聴け』が夏のはなしであると書いているのですが、もう、夏の話であることなんてもはやどうでもいいくらいにクールな旋律のあることばではないでしょうか。


この話は1970年の8月8日に始まり、18日後、つまり同じ年の8月26日に終る。

村上春樹『風の歌を聴け』


 (引用して気づいたけど、意外と普通な文章かもしれない・・・。これが村上マジックぅぅぅぅぅぅ!!!!)


⑧『熱帯』

森見登美彦『熱帯』

 読者を構造的に、そして全世界的に「マジック」のなかに閉じ込めてしまい、いやもう私たちは既にその魔術的なリアリティのなかに放り込まれているのかもしれないけれど、読んでも読んでも紙はすり減るけれどその魅力は増すばかりという魔法のような小説がこちら『熱帯』。


この世界のあらゆることが『熱帯』に関係している

森見登美彦『熱帯』


 いったいねったいで何が起こるんだ?と思わせる一文。『熱帯』のシェエラザードは村上春樹の『女のいない男たち』におけるシェエラザードよりも魔術的で魅力的で、読めば読むほどに僕たちを吸い込む輪転機の中枢のようです。


 タイトルだけでも十分夏っぽい『熱帯』ですが、今回この特集にピックしたのは、冒頭森見登美彦本人が悩んでいる姿がなんかイイからです。(かるい!)

この夏、私は奈良の自宅でそこそこ懊悩していた。
 次にどんな小説を書くべきか分からなかったのである。

森見登美彦『熱帯』


⑨『ペンギン・ハイウェイ』

森見登美彦『ペンギン・ハイウェイ』

 さぁ、やってきました『ペンギン・ハイウェイ』。今回の特集「夏のある日に」は、まさにこの小説にスポットを当てるためだけに開催したようなものです。


 皆さんの「夏の思い出」の最たるものは人生のいつにありますか?夏、小川のせせらぎ、打ち寄せる波際、対岸の彼女、溶け始めたチョコレート・ミックス・ソフト・クリーム、近すぎて多すぎる蜩、アスファルトの照り返し、帰り道のコンビニ・・・。人それぞれ、夏はさまざま。でも、夏の夏による夏のための時期というのはやはり「小学生の夏休み」ではないでしょうか?


 『ペンギン・ハイウェイ』は、誰も経験したはずのない小学生の夏休みを描きながら、どこか共感させられるひと夏の物語です。その読後感はさながら『となりのトトロ』を観終わったあとのような、僕たちが棲むこの世界にはいくつもの可能性があっていいと思わせられるような、心がひろく引き伸ばされるような感覚です。


 小学生の少年の感性豊かな、しかし鋭敏な目線が現れる文章がこちらです。


「駐車場とレストランの裏を水路はずっと続いていく。まわりにはまた植物がしげってきた。カラスの鳴き声が聞こえるたびに、ウチダ君はぼくの服をギュッとつかんだ。
「この水路はどこまで行くんだろうか」とぼくはつぶやいた。「世界の果てまで続いているのかな」
「世界の果て?」
「ぼくはいつもそんな気がするんだよ。父さんとドライブに行くときにも、この道を行ったら、世界の果てみたいなところに行っちゃうんじゃないかと思ったりする」

森見登美彦『ペンギン・ハイウェイ』


 と、いうわけで特集棚もペンギン色つよめです!!


お姉さんが素晴らしい

こちらを見るペンギン

椎葉村マスコットおつるちゃん、とペンギン

どうぞお貸ししますので、小宮山までお声がけください

お待ちしております!

 

 クリエイティブ司書セレクト、夏のナイン・ストーリーズ。あらため「夏のある日に」特集!ぜひご覧くださいませ。



フォントや色味はもちろん『ペンギン・ハイウェイ』意識


 ちなみにこの特集をみた方々の反応で気づいたのですが『熱帯』以外は既に映像化されていますね。夏という情感豊かな小説とビジュアライゼーションは、やっぱり相性がいいのではないでしょうか・・・?というわけで、最後にそれぞれの映像に関わる動画リンクを貼っておきますね。



 


①『異邦人』(なんと映画がまるごとアップされている)


②『グレート・ギャツビー』(やっぱりレッドフォードでしょう)


④『火花』(Netflixだけじゃなく映画にもなりましたよね)



⑥『悲しみよこんにちは』('Brilliant!'が頭からはなれません)


⑦『風の歌を聴け』(なんか、とてつもない時代を感じます)


⑨『ペンギン・ハイウェイ』(このトレーラーを観るだけでもう・・・)



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